




















新市街と旧市街をつなぐ通り。
露天・商店が所狭しとひしめき合う。
旧市街地を抜けて、新市街へと向かう。
旧市街と新市街を隔てるのは少し低い位置にある車が行きかう舗装された道路。ただの道路なのだけど、歩いてきた旧市街の少しいびつな道と街並みから見ると急に現代的で味気ないものに感じる。
道路には歩道橋として石橋がかけられており、その石橋から来た道を振り返ると、道路に沿って旧市街のイエメン建築がずらりと見える。
この道路に現代的な感じを覚えたけれど、道路を渡った先はまだアラビアンナイトの世界。新市街の中心地タハリール広場までの5分ほどの道のりには土の道路の左右にはイエメン建築の建物。そして通りには所狭しと露天が並んでいる。旧市街のスークとはまた違った野菜も多くあるの生活臭の漂う品揃えだ。
ここもまたまっすぐ歩くことはできない。目を奪われ、心引かれる空気があるからだ。
新市街と旧市街の間に渡された
道路は街をたてに貫く通り。
どこから集まってきたのかたくさんの露天商並ぶ。
大きな通りのはずなのに、
脇に2重・3重に並ぶ店で
道は車2台がすれ違えるか
どうか。車が通らないと
その幅があることも
わからないほど、
人に溢れている。
道を歩くこと5分弱で、この通りは終わりさらに舗装されたとおりに行き当たる。その向こうに開けた空間がありそこが新市街地の中心タハリール広場だ。
これまでの通りに比べると広い公園であるこの場所ときれいに区画整備された周りの雰囲気は露天が出ていながらも少し落ち着いて見える。公園内そのものの中には露天が制限されているのだろう。店は出ていない。この周りに色々と出ている。
さすが中心地とあって、広告や看板も目に留まる。旧市街の中世差ながらの世界がウソのように、携帯電話やらさまざまな広告が並ぶ姿は歩いてきた通りがタイムマシンのようだ。それでも後ろを振り返って建物の合間から見える旧市街の建築郡を見るとああ、サナアなんだと思う。この新市街こそ今のサナアでありながら、どうしてもあの旧市街への憧れと印象の強さが際立ってしまう。
それでも、ここを歩く人たちはイエメンの民族衣装をまとい、腹にはジャンビーアを携えている。
タハリール広場をホテルから見下ろす。
左のほうに郵便局と電話局。
さらに左手には店が並びネットカフェや
食堂、安宿も軒を連ねる。
明るい街頭が景色を変える。
どの時間も
お気に入りの景色。
広場の周りにもたくさんの干しぶどう売りがいた。
写真を撮らせてもらうとお礼と、両手に山盛りの干しぶどうをもらった。
お礼を言わなくてはいけないのはこっちだ。
おいしいフレッシュフルーツジュースと軽食屋さんが
軒を連ねる。メリのお気に入り。
ワディ・ダハールからの乗り合いタクシーが
街のはずれに着いた。遠巻きに見る市街地。
遠くの高い山に改めてここが山岳地帯なのだと感じる。
タクシーに乗っているとき思いがけず、
男の人たちが列を成し連れ立って歩く姿を見た。
不謹慎ながらお葬式の様子だった。
イエメンにサナアに行くのだ!と、だいぶと前から決めていた。必ず行きたい場所だった。それでもイエメンの情報はあまりなく、どうやって集めようか考えていたときに開催されたのが超地元の愛・地球博だった。
早速イエメン館に行って、話しかけやすかったお兄さんにイエメンの情報について聞く。
オススメのホテル、物価、空港からのアクセスなどなど。
するとお兄さんは自分の名刺をくれて、かつ自分の一族が経営する土産物屋さんの場所も私の地図(『地球の歩き方』)に書き入れてくれた。お兄さんIは(物産市と化していた)イエメン館の一部みやげ物を取り仕切っていた人だった。
万博には最終的に4回行って、他に行きたい、行く予定の数カ国の国の人に色々調査をさせていただいた。すっかり行く気満々のイエメンについて、万博に行く度にIと挨拶を交わし、色々情報をもらった。
イエメンに行くことが決まって、しばらくして電話をしてみた。彼は次の万博開催地中国でビジネスをしていた。それから2度ほどメールのやり取りをして現地サナアで会うことになった♪多分私のイエメン滞在中には帰れるだろうとのこと。
イエメンに着いた初日に彼の携帯に電話をしてみると別の人が出て彼の今の携帯を教えてくれた。彼は残念ながら中国。明日の帰国、私は明日サナアから別の都市へ行く。私がまたサナアに戻ってから会うことになった。
しかしその夜、泊まっているホテルを電話を受けた彼の親戚に伝えてあったのだけど、なんと彼の弟がたずねて来てくれた。
すっかりクタクタだったけれど(一つの理由は重いリュックを背負って何度も上り下りすることになったホテルの階段だ。急な上に、上の階に宿泊。きれいな景色のために上層部宿泊は部屋が狭くなろうとも譲れなかった。)せっかく来てくれたのと、やはり素直に嬉しくて、弟の好意に甘え、旧市街を案内してもらった。弟は英語がまだ少しで、後から兄のIと3人になったときIが
「彼はもっと外国人のあなたと話したいけど、英語ができなくて、今やる気になってるよ。まず、恥ずかしがりなのを直さなくちゃいけないけどね。」
と、笑っていた。
Iとは新市街の郵便局の前で待ち合わせをした。(メリ的に)もちろん、約束は遅刻だ。私は勝手にイエメン人は時間にのんびりしているだろうと思っていた。
ビックリしたのは彼が超高級車で来た事。そうかとは思っていたけれど彼は富豪だった。
一緒に私がどうしても行きたかった・見たかった旧市街の景色を楽しみ、とても満足。今日は現地人である彼と会うと言うのと、明日の朝私はイエメンを後にするのでお土産の買い物を今日考えていた。
普段であればこれでもか!と言うくらいたくさんの商店が並ぶ旧市街を、お祭りで静まり返った中、彼の案内で歩く。この旧市街で育った彼はここで多くを学んだという。迷うことなく迷路のような町を歩き、先日弟が連れて行ってくれたおみやげ物やさんへ。彼らの従兄のお店だ。他も見たけれど、結局ここでシルバー製品などを購入。他に少しだけ開いているお店を回って、色々こまごま買い物をして楽しかった。
その後、少しドライブ、おいしいフルーツジュースやさんへ連れて行ってもらう。急遽、彼のお母さんを迎えに行かなくてはならず、そのおかげで彼のおうちにもお邪魔することができた。
まさに閑静な郊外の高級住宅地の一つが彼の家だった。イエメン美術の美しさがまぶしい!
おうちでくつろがせていただくと、数日前に会ったばかりの弟が出てきてくれて嬉しかった。かつ美しいと言うより年齢的にかわいいかな、妹も。さらにはさっきは外であったために目だけを見せる装いだったお母さまが、家でくつろぐ姿になって登場です。
ていうかーーー
「お母さん、若くない?!」
「うん、ボクはお母さんが15のときにできた子供だから。」
はい〜〜!さすがです!
赤ちゃんの鳴き声が聞こえる。
「ボクの一番下の弟だよ。」
ええええ〜!?そうですよね、そうですよね、お母さままだ生めますよね。日本では初産がまだ有りのお歳です。彼は自分について年ほどで結婚するだろうと言っていた。そしたら、子供が生まれたとき、Iの子供はおじさんと甥っ子や・姪っ子の関係になるこの一番年下のおじさんとわずか2歳違いくらいなのか〜。そりゃアラブの家計図複雑で当然です。←家族が多くてつながりがわかりにくいと言う意味です。
「メリ、どこに行ってきたの?」
「イッブからジブラ、タイズ、ホーハ、ホデイダ、マナハにハジャラ、ワディ・ダハールにシバームとカウカバン、スラーだよ。」
「一人で?!」
「うん。」
「ボクが間に合ったら僕の車で色々連れてってあげるつもりだったのに!」
「ありがとう〜!」
本当に本当にその彼の優しさが嬉しかったけれど、彼が間に合わなくてよかった。私は自分の足と力で回ることができたイエメン旅行がとても幸せだった。熱射病にヘタれても。
彼とはいろいろな話をした。お互いの国の文化のこと、宗教のこと、彼のビジネスのこと、お互いの生活や恋愛のこと。イエメン人に日本人としてだけではなく、個人と個人の友人として話ができて事が嬉しかった。
彼と彼の家族との時間は私の旅行にスパイスを与えてくれた。
夜も更ける頃、彼の車でホテルまで送ってもらう。彼は記念に彼が身ににつけていたアラブの男性の象徴的な布をくれた。いいにおいがした。
本当にありがとう。
久しぶりに再会したIと
旧市街・イエメン門を見る。
高級ホテル内にある
Iの会社のスーベニアショップ
ステキなIのおうちの玄関
おうちの中には随所に
イエメンらしい美しい
装飾が施されていた。
ゴーーージャスな客間。
よく似た兄弟。
楽しい時間をありがとう。