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sanaa

1. 緑のジブラ1

2. 緑のジブラ2

緑の深さを見てみたかったけれど、
残念ながら季節は冬。
それを見ることはできなかった。
ジブラの町はその中にいるだけで、
歴史の深さが空気から伝わってくるような場所。
緑がなくても十分楽しんだ。
でも緑があったらこの町をさらに
鮮やかに色濃く見せつけただろう。

イッブからジブラまでは思っていたよりも早く、それは私の旅が始まったばかりで、全てが新鮮に映っていたからなおさらなのだろうか。
「ジブラだよ」
少なかった家々が増えて村に入ったのを感じると、そう言われ、少ししてすぐに一緒に乗り合わせていた人たち数人が降りた。すでにここはジブラ。でもまだ道は坂の上に続いている。みんなが私にどうするのかと目で促す。
「し・・しやーひや(旅行者)・・・」
どこで降りればいいのかわからなくて、とりあえず(見てわかるけど)観光をアピールした。運転手さんの判断で結局しばらく乗ってから、なんだか歴史のありそうな宮殿跡の前で降ろしてもらう。
ダッバーブが通るこの石畳の通りはとても味があって、その雰囲気を感じたら、お金を落として凹んでいたのも、(少し)頭から離れて行った。
さらに先にある美しいジブラらしい景色を見に行こうと思ったけれど、『地球の歩き方』に女の子のガイドについての記載があったのを思い出し、触れ合う機会の少ない女の子とお話がしてみたくて、それもいいかと、ガイドを探した。周りの人に聞くとこの来た道を下のほうに下ると観光案内所らしき場所があるという。ああ、降りればよかった。
言われたとおりにしばらく下って聞いてみるも、英語が通じる人が見るからない・・。ようやく見つけてもわからなかったり、ここは違うという。
そこに通りかかった子供を連れたお父さんが、英語で教えてくれた。ここじゃなくて上に戻った方がいい、と。かつおじさんはおじさんの家の隣の女の子がそのガイドができるということで呼んでくるといってくれた。裏通りの味のある細い道からもと来た場所へ戻った。
ガイド、といってもまだイエメンに来て2日目なので相場もわからない。このおじさんはいい人なのか、知り合いを斡旋しようとしてるのか・・・。
「あの、私あまりお金がなくて、ガイドはいくら払えばいいんでしょう・・。100YRとか200YRでもいいの?」
「あははは、心配要らないよ。君の思った金額を払えばいいよ。100、200それでいいよ。」
安心した。100や200は明らかに低い金額だ。それをこういってくれるならいい人のようだ。
おじさんは5分後にはその子が来るはずだからと言って去っていった。一度は去っていったおじさんのかわいい娘が私に興味を示して隣でしばらく一緒に待っていてなんだか楽しかった。
しかしその場はなんだか気分が悪くなったの。旅行者の私を見つけた13くらいだろうか男の子たちが私の腰掛ける腰の高さの壁に並んで座り、一人の子がつたない英語で話しかけ始めた。私の言った言葉を他の子に訳しているけど、なんだか気分が悪い、ちょっと馬鹿にしたような感じも含まれいた。そして、ガイドの話をすると、
「ガイドは普通1000払うもんだよ。100や200なんてありえないよ。」といってニヤニヤしているのだ。
この子がガイドなわけじゃないのだけど、友達を紹介するという。ああ、紹介してディベートもらうのね。
おじさんは5分と言ったけれど、すでに時間は20分経っていた。時間があってボーっとできる場だったらいいけど、時間もあまりなく、周りの子達は感じ悪いし、私はここをはずして自分で回ることにした。
歩き始めてすぐに男の子が私のほうに歩いてきた。
「ガイドいる?」
「あれ?ある男の人がガイドを呼びに言ってくれたんだけど・・・。」とおじさんの特徴を話すと、
「ああ、彼は僕の家のはす向かいに住んでるんだ。」
「女の子って聞いたけど・・」
「彼女は他のガイドをしていて僕が来たんだ。」
な〜んか怪しいよね。でも、まいいか。女の子がよかったけどさ。
「私は彼にガイドは200くらいでいいって聞いたけど、それでいいの?」
「うん、値段は最後に君が決めればいいよ。高い金額じゃない。」
怪しい。「私が払うのは300までだよ」
「OK」
彼の名前はユスフだった。

尖塔の装飾が美しいモスク。坂の途中をそれるとある。

イッブから来たダッバーブが通る道。

案内してくれたおじさんと娘。

裏道にいた牛。
向こうにはヤギ2匹。
近づく犠牲祭のため?!

道沿いにあった歴史を感じる面持ちの宮殿跡。
今は買い取った人がいるらしく中に入れないとか?

スークの中を歩く。道が細い。
右の方にいるのがガイドのユスフ。

スークの中にいた親子(?)

イエメンの家々は特徴的な
デザインのドアがよくある。

占領した跡だろう、
「トルコ人の家」と呼ばれていた。

サナアからやってきた道がそうであったように、ここもまた山の一部で坂の多い町だった。ふと現れる開かれた場所では、登り道やくだり道が交差し、その細い道を民族衣装を身にまとった味のある老人が通る。それだけでなんとも絵になる。老人と町の出す歴史のせいだろう。 

右へ行けば上り坂、左へ行けば下り坂。道の間には小さな間取りの店がある。面白い道だ。

この石畳の道を人が行きかい、
ロバや家畜も行きかう。
そんな日常がどれほどの年月
この道で繰り返されてきたのだろうか。

ユスフが博物館へ連れて行ってくれた。イッブから来ておじさんと歩いた場所とさほど遠くない場所に、一見それとはわかりにくくそれはあった。中へ入るとちょっと民家のような空気の流れる受付があって、そこで入場料のYRを払って奥へと進む。2階3階と展示が続き、屋上からは美しいジブラの斜面に連なる家々の町並みが見えた。
しかし、ここ、博物館なのだけど、ちょびっと今ひとつ。2階に上がってまずびっくりした。全く予期しなかった人形が昔の生活を模して飾られている。その人形は1箇所だけじゃなくて計3箇所で見ることができた。ちょっとだけ笑える表情である。確かに、人形置いた方がイメージしやすいけどね。
他にもこの町に伝わる歴史に関係した資料や、古いコーラン、そして近年の写真なども飾ってあった。
その中でちょっと気になった写真があり、ユスフに聞いてみると、その写真はアメリカ人医師を撮影したものだった。彼はイエメンのために病院を建て尽力を尽くしたそうだが、9・11のテロ勃発により起きた反アメリカ思想により古いイエメン人たちの手によって殺されてしまったのだという。なんとも悲しい、そしてどれほどか悔しい出来事だ。イスラムの人々は欧米での偏見を受けやすい。しかしながら旅をしていて思うのはイスラム圏での「反アメリカ思想」の根強さ。欧米がそうであるように、彼らもまた、全てではないでも、個人としてではなく「アメリカ人」というものの見方をしてしまいやすいように感じる。国籍や宗教を問わずに話し合ったら、世界でもっと多くの友ができるだろう。
このアメリカ人医師の殺人事件については他の本でも目にしたことがあるのだけれど、とある友人は襲われたとしても、殺されてまではいないはずだ!と強く言った。彼の言うことが事実なのかもしれない。しかしもしかしたら、殺人が起きた国で、それは政府などによって塗り隠されて、人々へは伝わらなかったものなのか。そうだとしたら、それが一番怖いことだ。

昔の生活を模して作られた部屋と人形たち。
右は結婚式の女性の部屋の様子だそう。

美しいアラビア語で
描かれたコーラン。

殺害されたというアメリカ人医師の
建てた病院について書かれていた。

私にとって楽しみにしていたものの一つはイエメン建築の窓。通常の窓の上に作られたステンドグラスのように美しいカマリヤ窓を見ることでもあった。イッブから来た坂道を登っていくと、親子が営むカマリヤ窓のミニチュアのおみやげ物屋さん兼工房がある。キレイだった〜♪

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