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tashkent

中央アジア最大のオアシス都市、タシケント。
想像する「中央アジア」とは違った多くのロシア系住民も闊歩する共産主義的な面立ちの街。
でも、ちょっと目を凝らせばアジアの香りのたちこめる温かな心がある。

「タシケントの空港からホテルへ向かうKANGの友達のバンの中で
「予約してあるんだよね?」
「ううん、ないよ。」
「ええ?」
なんて言われながら、約10分、15分ほどで「Ali Hotel」へと着いた。
予約のない私を心配して、彼らが私よりも先に行って、値段のことや部屋のことを聞いてくれた。入り口を入ってすぐの中庭のような空間がとても涼しげで感じのいい宿だった。
部屋はあった。泊まることに決めた。
「何かあったらこれが僕の友達のケイタイだから電話しなね」
親切にもそういい残し、韓国的挨拶の中彼らはこんな親切の後だけどさらりと帰って行った。

私の部屋は中庭を望む広い部屋だった。
いつものことながら、時差の関係で、寝不足ながらも、日本時間で目が覚める。毎回のように涼しい空気の中外へ出ると、真夏を感じないほどの気持ちよさ。
ホテルの警備のおじさんはもう起きていて、ちょこちょこと掃除をしていた。
挨拶を交わし、外へ出ると向かいの家のような工場のようなところでおばさんが2人ほどナンを買い求める姿。
思わず足がすすみナン作りのお兄さん達と目が合うと中へと迎え入れてくれ、自分達がナンを作る様子を見せてくれた。
大量の種を一人の人が丸く伸ばし、ウズベクナンらしい検算のような道具での丸い印をつける、それを焼く人が丸い厚みのある布のようなものにさらに広げて釜の壁へと張り付ける。売り子を兼ねた人がその焼きあがったナンを鍋のの様なものに取り、売る台へと並べる。
写真を写す私に「持って行きなよ」とお兄さん達が何度も言ってくれたけれど、
きっと私の朝食はここのなんだろうと思ってありがたくお断りした。
レストランをかねたこの建物の警備はカザフスタン人のおじさんだった。
なんだか早速シルクロードが横たわる、ウズベキスタンの人の流れを感じた。

朝から、私の興味は刺激を受けていた、気分が舞い上がる。

昨晩のチェックインは息子のANVARがしてくれた。
中庭でのゆっくりとした朝食が終わる頃、このホテルの持ち主であるAliさんがやってきた。
大学か学校でフランス語を教えているといっていた彼の英語もまた流暢だった。
外国人登録を済ませると、私の旅程を聞いてアドバイスをくれる。
今日の出発であるヒワ・ウルゲンチへのチケットが取れなかったから、長い道のりを覚悟で夜行での移動を考えていたけれど、絶対に飛行機の方がいいとAliさん。一日待つのはいやだと思っていたけれど、真剣に考えてくれる姿に明日のチケットが取れたら、ということにした。
ウズベキスタン航空のオフィスへは他に用があるANVARが一緒に向かった。のどかなホテルからの15分の道のりの先にあった。
同じカウンターには日本人?と思しき人影。
私のチケットは無事に買うことができた。そしてその人もまた同じ便のチケットを買った日本人のウエダさんだった。ホテルをチェックアウトしなくてはならなかったウエダさんにAliホテルを紹介して私はお父さんの用事に向かうANVARに着いて行くことにした。ちょっと観光がてら。

タシケントの街はだだっ広かった。そう感じたのは交通量に対しても異様に広い道路と、やけに大きく装飾がされたどでかいお店でもなんでもない建物たちのせいだろう。その大きさもあいまってやけに街並みが殺風景に見える。活気というものが目に見えない・・。
中央アジアの国へやってきた。でもこの街の空気からは「社会主義」の「旧ソビエト」を強く感じずにはいられないものだった。

まだ、朝の10時程度にありながら、すでに日差しはじりじりと日に慣れていない私の皮膚に突き刺さってきた。
そんな街をいたるところにある緑の中のスプリンクラーが涼しく虹の彩で楽しませてくれている。この緑の多さ、シルクロードのオアシスにある町の豊かさの象徴でもあるのだが、やけに多いまた大きな公園もまた、社会主義によって「作られた」街を感じさせた。


「遠くないよ」
と言う彼の言葉を、「あ、いつものアジア人のよく言う彼ら敵の気持ちは遠くないけど実は遠いってヤツね!」と思い、それを多少覚悟で用事についていったけど、コレはホントに遠かった!
予想外に疲れてきたけれど、「タクシーは乗らない」なんでだーー。「少し歩いたら、観光だよ」そんな言葉に紛らわされて、ようやくしばらくの後に新市街の観光のメイン?へとたどり着いた。

アミール・ティムール広場

町の中心にある大きな公園。中心にはアミール・ティムールの象がある。
ソ連崩壊でここにあったレーニン像は撤去され、「ウズベキスタン」の英雄アミール・ティムールの騎馬像が置かれたらしい。

アミール・ティムール博物館

外観も美しいけれど中の装飾は一見の価値がある。貨幣や服などの展示品もさることながら、中の中央に作られたドームの装飾はこれから始まる中央アジアの文化遺産を感じさせる1歩だった。
また、ウズベキスタンにある主なマドラサ(神学校)の本来の姿の模型も面白い。
カメラの持ち込みは別料金が必要。

メトロのアミール・ティムール駅入り口から見たウズベキスタンホテル。かなり古びた30年前からある高級ホテル。夜電機の着いている部屋の少なさにびっくりした。

ブロードウェイ

アミール・ティムール広場からのびるブロード・ウェイとことサイルガーフ通りは、ウズベキスタン・タシケント1の繁華街。昼も賑わいとこじゃれた雰囲気がある場所だけど、ここが楽しくなるのは夜の7時を過ぎたころ。道の左右にあるたくさんのディスコやバーの電飾に彩られ、多くのロシア形を中心とした若い子達が行きかう場所だ。
そして多少の売春婦もいるだろうと言うこと・・・。
私の訪れたときはタシケントでの爆発テロから約2週間後、少しだけ閉めているお店もあるようだった。 
道の中央に少し前にサッカーで有名になったウズベキスタン代表の写真入看板を見つけた。

ナヴォイ記念オペラ・バレエ劇場

タシケントにおけるヨーロッパらしき建物の象徴的存在の一つ。予想以上に遠くに来たためにこんなに観光地に来れると思わず、フィルムが終了してしまって写真がない。でも、確かに細工が施された作りではあったけれど、私として大きな感動を受ける建物ではなかった。
私にとってはこの前の広場で足を浸した水の冷たさ・気持ちよさが印象深い。

帰り道で、ANVARは自分がよりたかったのもあってだろうけど、国営のデパートツムにも寄ってくれた。私たちの思うような高級感はちょっと薄い。きっとバザールなどに比べたら高いに違いないのだけれど、面持ちは古い「ジャスコ」や「ダイエー」といった感じであろうか。私的にはトルコからの輸入品なども目に留まった。スーパーでのお菓子も然りだった。

約3時間と言う日本では女性の買い物と登山くらい出しかありえない距離・時間を歩いてホテルに戻った。
外はすでにかなりの暑さになっており、日差しが疲れに拍車をかけた。
ウズベキスタンは暑いと聞いていたけれど、このタシケントはその中でも特に暑いらしい。でも日中と朝晩の寒暖の激しい気候のためこの暑さと夜の快適さのあまりの違いは私にとってうそのようだった。

帰って水音が涼しい中庭で日記を書いていると、朝にウズベキスタン空港のオフィスで出会ったウエダさんと再会。そしてAliさんにここで一緒に昼食を食べるように言われた。とても親切なAliさんとAliホテルの従業員の方々だった。
Aliさんは、アル中?!と思うくらい勢いよくウォッカをあおりかなりの陽気。いつもここでこんな風に旅人と飲んでいると言う。普段飲まない私も旅先のものには弱く、ちびちびながらも勧められる度に飲む。ほろ酔いで気持ちよくなり予定していた昼寝をするのにとてもいい状況になったので、昼寝をすることにした。
少し後に車で帰るAliさんが夕方に私が出て行く先まで送ってくれると言うことで、1時間の睡眠。暑いときはホテルで昼寝をして行動がいい。
予定通りに出かけるときに一人の私を心配して、ホテル兼旅行会社の事務所で働くおじさんボホドゥルさんと一緒に行きなさいというのだ。一人で好きなところを好きに歩きたい、そう思ってそのようにお断りをしたけれど、それなら少ししてそう言ったら帰るよ、心配なんだよとい言う。
ボホドゥルさんとはホテルにいるときから感じがいい人とは思っていたけど、とってもステキなおじさんだった。一緒にいて居心地がよくて、楽しくて、好意に甘えて私の行きたいところを一緒に歩いた。もう一度朝歩いたブロードウェイからアミール・ティムール広場、そして、メトロを使って、とても行きたかった旧市街(エスキ・シャハル)へ。
エスキ・シャハルの中心でありメインはチョルス・バザールに金曜モスク。
庶民的な空気が漂う。

チョルス・バザール

社会主義的な警官の中の中央アジアらしいチョルス・バザールのドーム。バザールはこの中だけではなく周辺にも広がり、たくさんの人でにぎわっている。スーパーマーケットよりもはるかに面白い、ウズベク人の生活が垣間見れるバザール。

ウズベクブルーらしい水色がまぶしい、メトロのすぐ脇にあるバザールの建物。

バザールではたくさんの豊富な食材に物資が並ぶ

コカルダッシュのマドラサ

チョルス・バザールからここまでの道のりにもバザールが広がっている。それを楽しみながら約5分、コカルダッシュマドラサへと着く。
ウズベキスタンに多くある神学校マドラサだけど、旅が始まったばかりの私にとってはじめてのこのマドラサの美しさにはびっくりした。
こんなに壮麗な建築物があふれる国なんだ、ウズベキスタンは。

ジュマ(金曜)・モスク

この日の空は美しく、私は勝手にまるで私の旅を彩っているかのような空に、それだけで感動していたけれど、ジュマ・モスクの向こうに見る空はもっともっと美しく見えた。
ジュマ・モスクへ差し掛かったときイスラムの国へ来た実感が沸いた。
礼拝を伝える「アザーン」が少し離れたチョルス・バザールまで響き渡る。少し後にモスクの中には澄んだ空の下に人々の神聖なとき「ナマス(礼拝)」が過ぎていた。

ボホドゥルさんの優しさに嬉しささえも感じながらメトロを乗り継ぎホテルへと向かう。
各駅の装飾を楽しみながら、そして日の暮れる道のりを過ぎてホテルへと着いた。
いつもの中庭で休憩していると、ウエダさんとの再々会。夜ご飯を一緒に食べに行くことに。
ウエダさんは九州から来られているおじさん、おじさんと呼ぶにはちょっと違和感のある、若い感じの人だった。写真を撮りに来たんだよと言っていろいろなところでシャッターを押す。ウエダさんはウエダさんの旅行を楽しんでいた。私とは一回り違うウエダさんとは同じ会社にいたら上司になっていたくらいだろうけど、そんなことを感じずに、楽しいときを過ごすことができた

この夜、ウエダさんと一緒に困ったのは、夜ご飯の店選びだった。持っていた「旅行人のシルクロード」の情報は古く、1ヶ月前に出たばかりの「Lonely Planet」から選ぶことにしたけれど、外食文化が大手を振っているとは言いがたい環境なため、歩いた歩いた。まずは夜の街ブロードウェイにいくも、飲むお店ばかり。そして選んだのが歩いて15分ほどであろう「ユダヤ料理レストラン」だった。ウズベク料理を見つけるのがウズベク観光初日の旅行者達には難しかった。
ユダヤ料理にはとても難しい決まりがあるらしいと少し例をとってとウエダさんが言っていた。
タシケントに来て地図上でいくつかのシナゴーク(ユダヤ教会)の存在を見ていたので、この国に根付くユダヤ人の存在を感じたのがこのお店を選択させた理由だ。
かなり歩いたけど見つからず、迷いぬいてもう少しで帰ろうと決めたころ、ようやく人に聞いて着いたお店はホントにわかりにくい場所にあった。でも・・なんだか・・・私たちのぞうり姿には似つかわしくない・・・ウエイトレスのお姉さんは蝶ネクタイにパリッとした服で私たちを見るや、笑いながらもぞうりと短パン姿に目が留まっていた・・・。
中ではおしゃれな生伴奏でステキなムードの生歌が流れる。こんな場違いも度ではいい思い出としか言いようがない。
二人して、この夕食は楽しかったから、いいか。
あれれ?名前を名乗ったのって、ここで初めてだった、笑えますねウエダさん☆


迷ったこともあってかなりの時間を費やし、就寝したのはもう12時を回っていた。
私もウエダさんも同じ飛行機で翌朝ウルゲンチへと向かう。

ユダヤ料理のお店の名前は「Rachel
アルファベット名の上のヘブライ語が嬉しい

街がまだ目覚め始めた時間に私は向かいのパン屋さんに挨拶をし、タクシーへと乗り込んだ。
昨日買ってしまったものたちは、Aliホテルで預かってくれるというのでその言葉に甘え、旅の始まりと同じ荷物を機内へと持ち込むこととなった。
空港の敷地に着いて構内へと向かう途中、朝日がとてもきれいで、思わずシャッターを押す。

今日の始まり、シルクロードの旅の始まり。


「ウズベク人の町ヒワ」へ
「ウズベキスタンへ」へ

     バザールで見つけたこんなもの
←たんす。嫁入りのときにもって行くらしい。案内してくれたバホドゥルさん、昨月に娘さんのお嫁入りのときに買ったらしい。

←ゆりかご
真ん中よりやや端に寄ったところにある穴から用をたさせるらしいのだけど・・。
華やかな色合いがかわいい。ロッキングチェアーのようにゆれるものが多かった。