










ビビ・ハヌム・モスク
レギスタンからタシケント通りをバザールに向かって歩くと左手に迫力の元に現れるたいそう美しいモスクで中央アジア最大のモスクである。
1398年、ティムールが外征から戻り、当時における建築の粋を集めて作ったもの。しかし彼自身はこのモスクが完成する3年前に亡くなっている。
伝説によるとビビ・ハヌムと言うのはティムールの妃、このモスクの建設を依頼した中国人の妃の名前といわれているが、さまざまな言い伝えのあるこのビビ・ハヌムは実在しなかったとも言われている。
ハズラット・ヒズル・モスク
ビビ・ハヌム・モスクとさらにバザールを過ぎ広い道を渡ると左右に分かれた道の間にポツリとあるモスク。足を踏み入れると中は(私にとって入ったことのない地だけれど)中国やウイグルチベットを思わせる色使いがエキゾチックな作り。脇にある小さなミナレットからは大通り越しのビビ・ハヌムモスクを臨むことができる。
アフラースィヤーブの丘
ハズラット・ヒズル・モスクのすぐ裏手から北のほうへと広がる丘がアフラースィヤーブの丘である。現在はポツリポツリと大きな石の塊があるくらいで「見る」ものはないけれど、こここそが現在のサマルカンドになる前の古代サマルカンドのあった場所であったと言う。チンギス・ハーンの遠征の際に破壊されつくしたために今は面影もなく、いまだ発掘の進まない「サマルカンド」にただ想像を膨らますばかりだ。
シャー・イ・ズィンダ
シャー・イ・ズィンダとは「生ける王」を意味している。他の建築郡とはまったく違った雰囲気の立ち込める場所だ。タシケント通りをビビ・ハヌム・モスクとバザールを越えるとロータリーが出る。そこを右に下って約5分左手に上に向かって現れる。ここもまた、アッラフスィヤーブの丘の一部であり、生ける王クサム・ブン・アッバースとティムールの一族が葬られている。
入り口を入り、階段を上って進んでいくと細い道の左右に修復されないままのものも含め多くの廟がぎっしりと並んでいる。はだけた土色とところどことに残る美しい細工の霊廟郡が圧倒される空気を作り出している。
伝説によるとクサムはムハンマドのいとこにあたり、676年にサマルカンドにはじめてイスラム教を伝えた人物とされている。そのためクサムの霊廟があるここへはいまだたくさんのイスラム教徒が巡礼に訪れるため、肌の露出などは避け、彼らの信仰心に対して敬意を払いたい。
入場料2000スム
旅人に優しいこの北のシルクロードの町で、
このたび一番ののんびりした日を過ごす。
あせらず、せかされず、のんびりとしたウズベク人たちに混ざるかのように。
旧市街の目抜き通りとも言うべきタシケント通り沿いに大きく在る美しいビビ、ハヌム・モスク。
レギスタンにあるマドラサはどれも美しく偉大だったけれど、このビビ・ハヌム・モスクの1つだけでも
十分な存在感もまたすごかった。クイナクと呼ばれるウズベクの装いの女性たちが
次から次へ、隣のマーケットとへ前を行きかう。
マーケット側のビビ・ハヌム・モスク。
偉大な建物の前を日常の景色に
買い物の女性たちが歩く。
この日は今回の旅でもっともゆったり目覚め、過ごした朝だったと思う。
どうしても短い期限のある旅では駆け足になりがちだが、私はこのサマルカンドで最も時間をとっていた。旅心を掻き立てる「サマルカンド」を十分に感じたかったから。
朝起きて朝食の場所へ行くと一人旅らしき日本人女性を見つける。嬉しくて早速挨拶。会社を退職し、1年のユーラシア横断の旅をしている恵子ちゃんだった。ユーラシアの横断と言うとこのエリアだと多くの旅人は黄金街道とも言うべきインドからパキスタンを抜けるルートを選択する人が多い中、中国から中央アジアというこれまたビザの取りにくいめんどくさいルートを選んでいるあたり、大変興味深い女性だった。「そこら辺はもう行ったことがあるから」とはいえ、面白い。かつ彼女はバックパッカーではなかった。肩からかばんをかけて旅行をしているらしい。やはり興味深い。
もちろんそんなことだけじゃなくてとても親しみやすい彼女との会話は毎日男性といたために昨日会ったROBさんでもだったけどなおうきうきした。
いつもの男性人を含めまた、話し込んでしまった。
話し込むと、それは出かける時間には外は殺人光線が照らし始める時間になっている。
この日の観光は昨日と反対の中心部(レギスタン広場)から北東の方向へ行く予定だ。こちらのほうは午前中の観光が日のあたり具合から美しく映えると聞いていたからだ。
ホテルを出てレギスタンを尻目に人やものが立ち並ぶタシケント通りのゆりるやかな坂を下っていった。
かわいいおみやげ物やさんで何度も足を止め、買い物をしようとしたとき、うまく交渉がいかない。すると隣にいたきれいないい語を話す40くらいの女性が私の手助けをしてくれた。彼女は英語の先生で、彼女も娘さんも日本に興味を持っていると言うことだった。みんな穏やかでやさしいウズベキスタン人の口から、その言葉を聞くのは嬉しかった。
一緒に写真を撮ってお別れ。
少し歩くと向こう側からは昨日一緒だったROBさんが歩いてきた。周りのウズベク人がするように、私たちも立ち話をしてお別れした。今日の夜また会うのだ。
すぐにあらわれたビビ・ハヌムモスクはレギスタンとも昨日訪れたグーリ・アミールとも違う美しさがあった。日常の、人が往来するとおりに自然に存在しながらも、日常のものとは違う空気を持っていた。
門から中を覗いてもマドラサの前にある緑の在る中庭は静かに美しかった。入場料を払って入ろうかとも考えたけれど、なぜだろうかそのとき私は入らなかった。
しばらくは外観の美しさに見とれ、そのあとは
すぐ脇のバザールへと入り込んだ。
広いバザールをゆっくりと一通り回って、外へ出るとここまで着たタシケント通りとは違う通りに出た。すぐ脇のジャンクションの周りを車がたくさん行きかっていた。大きな通りの向こうにはやや小高くなった場所にモスクがあった。ハズラット・ヒズル・モスク、ビビ・ハヌムのような華やかさはないがなんだか惹かれていたので、坂を上り、さらにモスクへの階段を登った。
入り口でお金を払い、中へ入るとそこは私がこれまで見たモスクとは全く違った色使いにデザインで思わずここが仏教寺院に北のではないかと思うような空気に包まれていた。
それは私がまだ行ったことのないチベットや中国内陸部に見られる仏教の寺院を想像させる装飾だったのだ。これがイスラムでありながらシルクロードを経て中国の影響も受けたウズベキスタンのモスクなのだろうか。私の好きなトルコでは人の顔立ちも目に見えて日本、アジアとは違う。それがこの国ではその距離もあって顔立ちさえもアジア的要素が強まる。それがますますこのモスクを寺院化のごとくに見せているのだろうか。
門を入ってすぐの場所でぽかんと口を開けこの装飾を見入っているとそこの人がいかにも旅行者の身なりである私を笑顔でほかの人が行くモスク内部へと促した。そのままついていく。
中では少しだけありがたそうな格好をした人人がやや高めに設置された説法代のようなところで何かを唱えていた。人々はちょっと壁よりにそれを静かに聴いていた。私は内装と雰囲気を味わいながらしばらくの間静かに座っていたのだけれど、終わる気配のないこの説法(?)から外へ出ることにした。さっきから気になっていた景色を見るためだ。
装飾の在る部分からはマーケットはもちろんのことその向こうのビビ・ハヌム・モスクが美しく見えていた。
見入ってる私にそこの料金を支払う場所にいた人がすぐ脇のミナール(モスクの尖塔)に案内してくれた。人が一人と折れるだけの階段を登りきるとさらに景色が広がった。やはりというか案内してくれた人にはチップが必要で、はぁ・・、と言う感じだったけど、風が通るこの場所は景色もだけれど、気持ちのいい場所だった。ビビ・ハヌム・モスクの写る景色がさらに美しく感じた。
すぐ裏にはサマルカンド発祥の地とも言われる現在は何も残ってはいないがアフラースィヤーブの丘が広がっていた。
暑さよりも風を肌に感じてひと時、今日の最大の目的のシャー・イ・ズィンダへ向かうことにした。
アフラースィヤーブの丘から坂道を下る。少し人がごちゃごちゃしていたかと思うと、静かな雰囲気が立ち込めてきた。
あれれ?道路の反対側向こうのほうから見たことの在る人が、と思ったら、今度はヤマモさんが、シャー・イ・ズィンダのほうから歩いてくる。やや広い道路なので、大きめのリアクションで挨拶を交わしすれ違った。また顔を知る旅人・日本人に会う。笑える。もう見終わっているとは。ヤマモさんはいつも朝早くから動き回って、動き回ってといってもばたばたしてるわけではなく、いろいろ探索をしているようだ。一見は物静かだけど、好奇心旺盛な人だ。
入り口に立ったとき、これまで見てきた華やかで美しいマドラサやらモスクとは明らかに違う、一見だけではやや朽ちたような面持ちの残るシャー・イ・ズィンダの印象だった。
それは入って奥へとつながる階段を登っていくにつれて変わっていく。
シャー・イ・ズィンダは荒れていた、でも、すごくすごく静かに、細い通路に沿って一見整然と並ぶ古いこの遺跡は間違いなく美しい。他のモスクでは青の占める割合がとても高いのだけれど、ここではむき出しの土の色の印象が強い。そのせいか、青の美しさがありがたいもののようにも映る。細い路地、どこで写真をとっても絵になる景色が広がる。
しばらく歩いて行き止まりが見えてきた。そこには他よりもやや大きめの門のようなものがある。くぐるとすぐ脇にはモスクの入り口。遺跡でありながらも、人々はこのモスクで祈りをささげる。ベンチに座り休むウズベク帽をかぶったおじさんたちもまたこの場所は彩に見える。
そこをさらにくぐって、他よりも青が残る場所へと出る。右にある青を見て、左へ目をやる、と、今度はファリ〜がいた。目が会うとにっこり笑った。
「やだーー!びっくりしたよぅもう!」ファリ〜は日陰に座りガイドブックに目を通していた。
「ここ、いいね」
二人とも同じ意見だった。
門を入ってすぐのモスクの内装。
ハズラット・ヒズル・モスクからの眺め
ビビ・ハヌム・モスクと手前がシェアブスキー市場
シャー・イ・ズィンダの奥へと進む道
お祈りに来たおじさんたちだろうか、
しばらくここで話しをして涼んでいた。
行き止まりの奥に細い通路があった。
先に訪れていたファリ〜に聞くとこの奥にはお墓があるらしいのだ。シャー・イ・ズィンダへ来る途中で墓石らしきものを作る職人さんの店をいくつか横目に見ていた。
お墓や埋葬については旅では見ること知ることのできない部分だ。興味で、と言うととても失礼でもあるのだが、少しだけでも自分の目で見てみたくて、シャー・イ・ズィンダの細い道を抜けた。
ウズベキスタンのお墓は日本のものよりも解放的に感じた。もちろん経済的格差は感じることができるけれど、ここのお墓は緑に覆われ、お墓の中の大きな通りの脇には冷たい水が流れていた。まるで公園かのように、小鳥のさえずりが響いていた。
罰当たりかもしれないが、ウズベキスタンの墓石職人の腕に感動した。
墓石にはなくなった方の生前の姿が黒く美しく磨かれた石にそれはきれいに描かれていたから。描くと言うのも石の表面を削っての肖像画だ。同じく並ぶ文字もロシア語がお墓によっては微妙に違う書体で書かれていた。
ここを訪れたら、もし自分の家族の生前の顔を見たら余計に泣けてくるのだろうか。それとも日本のように亡き人を偲ぶことのほうが胸に来るものだろうか。いやどちらでもなくどちらもあってるだろう。お墓を訪れると言うこと自体が亡くなった人を偲び、思うことだから。
お墓の中の大きい通り。緑が豊かだ。
墓石に描かれた芸術。
罰当たりなことをしています。ほんとにすいません。
ファリ〜のもとへ戻り、お互い食事を取っていなかったので、一緒にランチをとることにした。
とりあえず、来た道を戻る。
途中見た、大きな気に囲まれた大通り沿いのオープンテラスへ行くことにした。
かなり心地いいレストランだ。もちろんのことおいしいウズベキスタン料理を口にすることができる。
ゆっくりとした食事時間を過ごし、すぐ裏のバザールを楽しんで、私たちはやや日が傾くころにホテルへと戻った。
夜のご飯はホテルで取る予定だった。レストランももちろんおいしいが、家庭的な料理・味も食べたかった。泊まっていたホテル・バホディルでは1$という安さでボリュームたっぷりのご飯がいただけた。遊びに来ていたROBさんも私たちと一緒に夕食をとった。楽しい食卓だった。
ROBさんとヤマモさん、そして、私にとってはウズベキスタンで最後のゆっくりとした食事なのだ。
前から知っていたわけではない私たちだけど、いつしか夜遅くまで時間を共有していた。
まだ、サマルカンドにいて、まもなく旅は終わろうとしているけれど、旅を振り返るにはちょっと早すぎた。まだ旅を楽しんでいるから。
シャー・イ・ズィンダの入り口にあるモスクで。
静かに祈りをささげる、印象的な姿だった。