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シルクロードの交差点サマルカンド2 へ
「サマルカンドへ」へ

レギスタン広場
砂の広場を意味するレギスタンは、サマルカンドを象徴する存在と言える。一つ一つを取り上げても十分見所に値するほどの華麗なマドラサがほぼ南の方向に開けて、コの字型に3つ並んで建てられている。
場所はサマルカンドの中心的位置にあり、アクセスもいい。
入場には2.4$で↓の左端にある入り口で払い、中へ入る別料金(3$程?私は上り損ねてしまった。)を払って↓写真左手奥のウルグ・ベクのマドラサに添えて建てられているミナレットに登ることができる。しかし、この金額はそこへと案内した警官の財布に入るいわゆる賄賂らしい。そのためか、警官はかなり熱心にミナレットへ上るように(とりわけ自分の勤務時間を指定して)話しかけてくる。こういった話からは、どうしても公務員の腐敗を感じずにはいられないけれど、コレもまた残念ながらまかり通った(?)現在のウズベキスタンの経済の形。

入場料2400スム

「サマルカンド」
私の中で、その名前だけで行くに値する場所の一つが、この「サマルカンド」
そのイメージはシルクロードの商人が東と一言ではいえない空気の中、
厳しい旅のつかの間で羽を伸ばしただろうやさしい土地。
だから、旅人を構えることなしに寛容に迎えてくれそうな気がしたんだ。

今回私はそんなやさしさを求める旅人。サマルカンドは私の期待を裏切らない人々が暮らす町。

レギスタンをバックにウイグル族やウズベク族らしい帽子をかぶったおじさんたち。町の広場のベンチで憩いのひと時を過ごす。照れることなく話の休息を取るかのように私のカメラに向かって微笑んだ。

サマルカンドに着いたのは深夜。予定通りの時間で1:00を回る頃だった。
駅構内は静まりながらも、深夜に着くこの列車のために小さなKIOSKを思わせる売店がポツリと営業していた。
この駅、サマルカンド駅で降りる人たちは私が思っていたよりも多くなく、社内の雰囲気も私たちよりもかなり短い日常に使う程度の乗客ないし、はるかに遠くまで人によってはタシケント、乗り継いで更に違うところへ行く人たちだった。
駅をでるとシン、としているにもかかわらず、おばさんの物売り、それと並行するかのように何台かのタクシーの客引きたちがこの列車の乗客のために待っていた。私たちも、そうここから宿泊を予定しているサマルカンドの中心部までタクシーにお世話になる。
ブハラでもうウズベク語があまり使えなくなってから、ここサマルカンドではさらに違ったタジク語も多く使われていると言う。ウズベク語なら私が多少でもトルコ語の応用で使うこともできたのだけど・・、あっさりとファリ〜にその交渉をお願いして、私たちはタクシーに乗った。

市内までは約15分〜20分と言ったところだっただろうか。
ブハラで懲りていたにもかかわらず、予定外もあいまってホテルの予約をできないままに目的地サマルカンドについてしまった私たちは、とにかく希望であるホテルへと向かう。バホディルB&Bの評判の良さに諦めがつかなくて。
タクシーの運転手のおじさんもその場所は知らなくて、きわめて近い場所にいながらも、その場所が見つけれず、なんとおじさん、深夜の1時半に私たちの泊まる予定じゃないホテルで泊まって、トントントン!起こして場所を聞く!えええ?そんなんいいの〜?!それもやや入り組んだ場所にあるバホディルを確認するためには1軒じゃ済まなかった。
ヤマモさんもファリ〜も私も泊まるわけでもないのにこんな深夜にほかのホテルをめんどくさそうではあっても決していやそうなわけでもなく教えてくれているおじさんたち、私たちにとってはわずかに見たサマルカンド人の寛容さに早速脱帽だ。
バホディルB&Bで私たちはまたウズベク人の寛容さと暖かさに脱帽することになる。

ようやく着くと私たちより先にタクシーのおじさんは念のためそこがバホディルさんのところか確認した上で私たちを下ろし、去っていった。
寝ていたバホディルさんはまず私たちをドアの中、中庭へと入れて、しばらく考え込んでいた。部屋が満室だったのだ。それでも到着したての私たちにはすぐに温かなお茶が一人にポットひとつずつ出されていた。もしこれが違う国なのなら、「部屋はないよ」あっさりと門前払いでも文句は言えない状況だ。このやさしさはウズベク人・サマルカンド人のものでもあったけれど、このバホディルさんと言う個人の魅力であり、たくさんの旅行者が居心地良く感じるためのゆえんでもあった。付け加えるなら、先ほど出されたお茶は飲み放題で、共有の食事をいただくスペースで座っていると、自然と出される。言えば新たなお変かわりも出してもらえる。
考えた結果、私たちはその食事の場所でいすを並べて過ごさせてもらう覚悟でいたのだけど、バホディルさんの部屋で寝ることになった。私は女性と言うことで、ベッドで、ヤマモさんとファリ〜はバホディルさんが持ってきた布団で。もちろん最後にこの費用は破格値でお支払いしたけれど、すでに私たちはここの居心地のよさが何でか感じることができていた。
夏のウズベキスタン、多少夜は冷え込む。長袖にちゃんと布団をかぶらないと寒いくらい。
バホディルB&Bには中庭に寝台がいくつかあって、旅行者の中にはわざわざ好んで部屋ではなくそこで寝ている人たちもいるくらい。私たちに部屋を譲ってくれたこの夜、バホディルさんも使われていない寝台で休んだようだった。

朝、早めの時間に目が覚めた。
たいてい早いんだけど、今日はまだ部屋のこともわからない状態なので、とりあえず、すぐにふらふら出かけるのやはめて、共有の食事の場所へと部屋を出た。出なかったのは部屋がわからないからだけじゃなくて、やはり居心地のよさそして、ここまで急いで旅をしてきて、ようやくゆっくりした日がすごせたからでもあった。どこもすばらしい楽しい土地であったのだけど、旅を組むときにサマルカンド
机に着くと早速と言わんばかりにしっかりとした朝食が私の前に並んで、話しながら食べ始めた。
しばらくするとほかに泊まっていた日本人の人たちも姿を現し、お互いのたびの情報を交換する。
仲でも私にとって大変興味深かったのは奥様の里帰りでサマルカンドを訪れ、この宿でしばらく過ごしていたシンゴさんのお話でもあった。その後で偶然お会いした奥様はそれは目のきれいなかわいらしい方で、なんと偶然にも、名古屋に暮らすウズベク人にお友達がいた。それは私の友人の友人でもあった。こんなところにきてそんなお話ができるとは、本当に世間は狭い。
いつもの殺人光線(まだ予備軍)はすぐそばにあったけれど、日陰になった中庭の脇のこの食卓は風のとおりも良く眠くもなりそうなほど、気持ちよかった。これまで移動続きだった旅の中で最後の土地であり、ゆっくりするサマルカンドでちょっと落ち着いたような時間だった。

と、思ったのだけど、これは翌日も・・。宿と人の居心地の良さと私のめんどくささのせいだわ。

時計を見てびっくりした。あっという間に時間は11時。まもなく予備軍であった殺人光線もいっぱしの殺人光線になり始めている。
あわてて、観光へと向かった。

ウズベキスタン旅行、そしてサマルカンドを訪れてこれを見ないわけには・・・と思っていた。
レギスタン。正面左からウルグ・ベクのマドラサ、ティッラ・カーリー・マドラサ、シールダール・マドラサ。

ティッラ・カーリー・マドラサ
このマドラサが建てられたのは1660年。今こそ博物館として使用されて入るものの、昔はマドラサのなでもすくとしても使われていた。緑ある中庭は静かに心地よく、美しいもの。そして美しいと言えば正面から入り左手にある建物の中はたいそう美しい。入って中を見上げるとそこには真っ青と金であしらわれたアラベスクの精巧な柄がドーム一面に施されている。

ウルグ・ベクのマドラサ
ティッラ・カーリーの庭と建物の装飾は魅力だけど、正面左手に位置するこのウルグ・ベクのマドラサはレギスタンの中で個人的に一番お気に入りのマドラサ。理由はいくつかだけれど、もっとも単純な理由で正面の装飾がかわいいんだ。
歴史的に見ると1420年の建造であり3つのマドラサの中で一番古いこのマドラサはウルグ・ベクの時代に作られた。中には50以上の小部屋でその時代に各地から集まった神学生たちが、100人以上で学んでいたと言う、大きな役割も果たしていた。
入って左手のほうにウルグ・ベクはじめその時代の学者たちの像が並んでいる。その時代の人々の思想に思いを忍ばせる。
 ウルグ・ベク→ティムールの孫であり、天文学をはじめさまざまな学問の発展に努めた彼自身の天文学者としては偉大な人物であり、サマルカンド中心部から離れた場所に一部ではあるが「ウルグ・ベクの天文台跡」が残っている。

シール・ダール・マドラサ
レギスタンを正面から見た右手のマドラサで、なんともウズベクらしさを併せ持ったマドラサである。1636年に建てられたこのマドラサの正面にはライオン(タジク語のシークであり、ライオンはサマルカンドのシンボル)の絵が描かれており、偶像崇拝を禁止するイスラムの社会においてはきわめてまれな存在だ。偶像が描かれたマドラサは他にも有名どころではブハラのナーディル・ディワンベギのマドラサの「不死鳥」と「人の顔」でも見ることができる。それがこのマドラサがウズベクらしい理由でもあるのだがこのライオンの絵柄は現在ウズベキスタンに出回る200スム札にも使用されている。

グーリ・アミール廟
グーリとはタジク語の墓を意味しており、グーリ・アミールで「アミールの墓」となる。ここにはティムールとウルグ・ベクとシャー・ルフというティムール朝が全盛であった時代の王たちが眠る墓である。ティムールは自身でシャフリ・サブズに墓を作っていたのだが、訪れた突然の死が真冬であったために雪に覆われたシャフリ・サブズへの道が阻まれ、ここに納められるにいたった。美しく大きなドームの中はそれと同じに金箔がたくさん使われたとても美しい細工で埋められているのだけれど、面白いことに中と外ではその大きさが違う。外から見た時に大きく映るように中にあるドームに、大きさとしてはほぼ青の溝のついた屋根の部分が付け加えられて高さ幅とも大きく作られている。
少し町の喧騒から離れているせいか、その役割のせいもあってかグーリアミール廟は時代とともに衰えを見せながらもなお静かに偉大に美しくたたずむ。

ここは夕方に訪れるのがいい。夕焼けのオレンジに照らし出される廟が幻想的にも感じる景色となる。
入場料2$

バホディルからレギスタンへ向かうと、このとき工事中であった場所を抜け、広場を正面から見た右脇の部分に出る。
そういえば宿の情報ノートにこのレギスタンにタダで入る方法が記されていた。ウズベキスタンではこういった公共の観光地で現地の人の料金に比べて驚くほどに観光客への料金が高い。もちろんそれは旅行ができるほどの収入に対してのもので、他の観光大国に比べると、まだ安いものだ。
私は「払いたくない!」なんて思ってなかったけど、たしか、この入り口は抜け道のひとつでもあったはず・・。あらら、もっしかして〜♪なんてうきうきどきどきしながらいざ!入ろうとしたら、ちょうど向かいから、警察が歩いてきた・・・。
「あっさらーーむ(こんにちわ)。」
と挨拶をすると、向こうも微笑んで楽しそうに挨拶して、きちんと!案内してくれましたーーー入り口の料金所。入り口というのは正面向かって左側、にこじんまりとあった。

あまりの美しさに圧倒されながらも、このレギスタンの面持ちは私がイメージを勝手に膨らませていたものよりは小さく納まっていた印象だった。
しかし、(夜の音と光のパフォーマンスのために作られた?)真ん中の木製のステージのようなものの中央に立ち、一つ一つがしっかと構えた豪奢な3つのマドラサに囲まれた感じは圧巻だった。
こんなすばらしい文化を創った国であるにもかかわらず、現在の経済の状況だったり、世界の中での認識の薄さがが不思議なくらい。だけど、そんな場所は残念ながら、いろいろあるんだよね。
歴史ってそんなものなんだろうな、と感じながらも、今この場所に入れてとても満足していた。
私は日を背にしていた正面向かって左、ウルグ・ベクのマドラサから中へと足を運ぶことにした。

↑夕方、もう一度訪れたときのもの。
夕日に照らされたマドラサは真っ青なタイルがうそのように
まぶしくオレンジ色に反射していた。

←お金(200スム)にも使われている
シール・ダール・マドラサのデザイン

なぜだか知らないけれど、ここはとても気に入った。
このときちょうどマドラサ内にあるおみやげ物やさんの客引きがわずかながらもしつこくなかったからか?
ひとつ言えるのは中を見てではなくて、正面の上にあるデザインが私好みだったからなのだろうか。

中庭が美しいとは言われていたけれど、確かに。たくさんの緑があるわけでもないのに、なぜだろう。心地いい。
そして、正面から見て左にあるマドラサの中の細工はあまりにきらびやかでいつの間にか見上げていてぽかんと口が開いてしまっていた。ひとつの写真では納まりきらないくらい大きく広いスペースのすべてにこの細工が施されているんだ。

ここではおみやげ物で紹介した金箔などを使った緻密画の小箱「パピエ・マシェ」が多く見受けられた。私もファリ〜もいろいろ交渉した結果、このマドラサの中庭に面したおばさんのお店で、購入。

入ったときは小さいながらも何かの演目が終わったばかりだった。こじんまりといすが並べられて立ち上がる人たちと、少しだけ着飾った(?)人たちがその場を後にする。
3つ共のマドラサが、表のきらびやかさとはちょっとちがうややひなびた感じを中庭に持っていた。その中でもこのシール・ダール・マドラサはよりそんな印象が強い。中庭から壮麗なマドラサの入り口へ目をやると、ほんとうに表とはまったく違うむき出しになったレンガの印象が強く残っている。
戦争だったり、歴史の中でこうなったのだろう。そう思うと、改修が施されたとはいえ、美しいままあり続ける、レギスタンだけではないこの国の建築物の壮大さに感心する。

3つのマドラサを見終えて満足、とりあえず一息。
殺人光線を避けて日陰になっていたウルグ・ベクのマドラサの入り口に腰を下ろし、旅日記と自分・友人へのはがきをしたためた。
ウズベキスタンへ来て昼の殺人光線とうらはらの日陰の心地よさは十分に実感していたけれど、ここでもまた、すばらしい空間の片隅で眠くなるくらいの心地いい風が吹き抜ける。
観光客が外国人だけではなくてウズベク人も嬉しそうにして訪れていた。

サマルカンドはウズベキスタンの中でもタジク語が多く使われるエリアだ。南東に下るとあるタジキスタンからの人々がたくさん暮らし、サマルカンドだけのタジク語が話されているらしいのだ。
持っていたガイドブックにはロシア語とウズベク語こそ載っていたけれど、タジク語はなかったので、タジク語をゲットすべく考えていたところで、すぐ私の前にさっき私を入場料の支払いに案内した警察の人が他の人と木陰で話し始めたのだ。
おお、コレは聞くチャンス☆
だなんて思って、近くへ歩み寄る。
「アッサラ〜ム(こんにちは)。タジク語話しますか?」

話しているときに警察官はしきりに、ウルグ・ベクのマドラサの脇に立つミナレットへ上ることを進めてきた。価格は当初5$。高い。そういうとあっという間にそれは3$になった。そして2.5$。できれば上りたいと思っていて交渉をしていたけれど、やけにしつこく、それも時間を限定して言ってくる。
「そんなこと言われても、わかんないよ。私が来れて来たいときに来る。」
そう言っても、まだ時間を言う。
それは彼らが得ているお小遣いだったのだ。
ウズベキスタンでは本来費用が必要ないはずのところで警官やそこの人が勝手に料金を徴収している場所がいくつもある。こういう話は日本人にとってはなんとも腹立たしいものだけど、こんな風に職権乱用が当然であることも国としての問題だが、それをすることで、また賄賂があるから普段の生活ができている事実を聞くと納得いかないながらもしょうがないような気になる。
けれど、ちょっとしつこくてややうんざり。
上って見下ろすこのレギスタンとサマルカンドの町は美しいに違いなかったけれど、すっかり他の土地よりもゆっくりできることに安心しきっていた、そして観光ではなくタダゆっくり時間をすごすことに心地よさを感じていた反面があって、私は結局このミナレットへ上ることはなかった
残念でもあるけど、満足した旅であるのと、いつか次回になんて思っている。

2度目の夕方にレギスタンの正面に腰を下ろして眺めていたときに物売りの子供が親しげに横によって来た。ちょっとお話をしていると、「あ!見て見て!」
常に修復がされているような話は聞いていたけれど、あんな、あんな屋根の上で〜!びっくり!

お昼の休憩がてら昼寝でもしようと宿に戻ったのだけど、結局宿で同じように戻ってきていたファリ〜とお話をして一番の殺人光線タイムをやり過ごした。
もちろん宿ではおじさんがそこに腰を下ろした私にお茶を振舞ってくれ、テーブルにはぶどうが乗ったお皿がおいてあって、いただきながらのんびりすごす。
約2時間ほどを過ごした頃、少し重くなっていた腰を持ち上げて2度目のレギスタンへと向かった。

すでに傾きかけていた日差しもまだ強い。これからの予定を確認しつつしばしマドラサを眺め、腰を上げたときに、少し先に日本人、女性が〜。あ、なんだか嬉しい。
すぐ脇を通りすがるときに会釈とポロリ「こんにちは」と言ってみると同じしぐさとお返事が返ってきてホっ☆
「どちらからいらっしゃったんですか?」

話を始めてすぐにわかったこと。彼女は1昨日にブハラから到着したと言うこと、私たちは同じときにブハラにいた。そして、ファリ〜がヒワで一緒に行動し、ブハラで会いに行ったのがまさに彼女ともう一人の外国人だったのだ。
彼女も聞く。
「ということはファリ〜と同じ宿なのね〜!」
思わずの出来事に二人でウケて、立ち話も弾む。
そして、一緒に新市街へと行くことになった。私はポストカードを送るために郵便局を探していたのだ。

彼女ROBさんはすごい人だった。魅力的(かなりおもしろい!)キャラであることももちろんなのだけど、英語はもちろんのこと中国語にドイツ語まで使う。そしてそして、最も面白いのが、値切り倒す姿だ!!何でもかんでも値切る。
ROBさんは決して貧乏パッカーでもなく、けちな人でもない。とりわけ彼女が怒っていたのは、現地の人と旅行者のあまりにひどい入場料といった公共の価格の違い。私なんかだともう決まったものなら、と紙でも見せられてしまうとそこで払ってしまうのだけど、彼女はきっちり言う。そして、値切る!
当然のことながら、彼女の実力が最も発揮されるのはバザールで、一番笑えたのは「さっき買った帽子ね、こっちのウズベクの人は私よりも高い、言い値で買ってたの」「帰りに体調を崩したのは善良なウズベク人からも値切り倒してアッラーの罰が当たったのかもしれないわ〜」。
しかしながら、その安値をゲットしたときの嬉しそうな顔のかわいらしさもさることながら、値切ってるときのその国の人とのやり取りを彼女はとっても楽しんでいて、私とはまた違う、彼女らしい旅の楽しみ方が伝わってきた。
新市街へと向かう。ROBさんは自分が前回利用した価格よりも高い乗り合いバスには決して乗らなかった。

新市街のエリアはやはりれぎすたんを中心とするエリアよりも幾分か高めのビルやしゃれたものがやや多かった用に思う。ROBさんに言って郵便局、電話屋さんへ行った後、クルイティーバザールを楽しむ。
すぐ前には国営デパートのグムがあった。足を向けてみたものの日はもう翳りはじめていて、グムの入り口もすでに閉じられていた。ガラスのドア越しに見るこのデパートはなんだか日本で言うホームセンターのようにいろんなものが所狭しと並べられていた。二人とも顔を見合わせて まぁ、いいか。
「ROBさん、私グーリ・アミール廟行った?夕方がきれいだって聞いたの。今からよければどうですか?」
「まだ行ってないの〜!行こう!」

バザール脇の再びバスに乗ってツアーなどにも使われるサマルカンドホテルを尻目にグーリ・アミールへ。
入り口からこのグーリ・アミール廟までは大部と歩いて進む。遠くから見ても秒という言葉にふさわしく静かにたたずんでいる姿が見える。入り口の門へ行く手前で子供たちがいろんなおみやげ物を持って声をかけてくる。
すでに日は沈み始めていて、美しいグーリ・アミール廟を照らし出している。聞いた情報のとおりにここは夕景が美しい場所だった。
ROBさんと見とれて門をくぐり、ふと脇を見ると、そこのベンチに腰を下ろして私たちを笑ってみているファリ〜の姿があった。
「ファリ〜も夕方に来たんだね〜」
「一通り見て、休憩してたところ。とてもきれいだから見ておいでよ。やっぱり夕方がよかったね。」
私とROBさんはぐるりとグーリ・アミールを見て回った。どの角度から見てもオレンジ色に照らされる廟は私たちをうっとりさせた。中へ入るとやや古さを感じる外観とは違い豪華な装飾が目に入った。廟という存在のためにその静けさがますます重厚感を感じさせた。
ここのおみやげ物屋さんで売っていたアラビア文字のカリグラフィーをあしらった鮮やかな色の木の彫り物がかわいかった。ROBさんは一つを買って、後から聞くと翌日にもうひとつ買いに来たという。そう聞くと私も買っておけばよかったかなぁなんて気になる。
一通り見て入り口の方へ戻るとファリ〜がひとりまったりしていた。
3人でグーリ・アミールを後にする。

グーリ・アミールの入り口付近にいた子供たち。
写真撮影に嬉しそうに集まった。

静かに夕焼けを浴びるグーリ・アミール廟

3人で歩いてグーリ・アミールの領域を出て旧市街の中心レギスタンへと向かう。
その途中でインターネットカフェがあったので3人で入る。このとき、世界と日本はアテネオリンピックに沸いていた。残念ながらウズベキスタンではその熱が低く街中で状況があふれていると言うことはなく、私たちは日本の金メダルのニュースをここのパソコンから知り、3人で一喜一憂した。
どこの国でも同じなのは男の子たちはテレビ・パソコンゲームが好きということ。自分がやらなくてもやっている友達のを真剣に覗き込む。あまりにやっている人数よりも集まりすぎて、お店のおじさんが子供たちを追い出す。
1時間ほど、インターネットをして外に出るとすでにあたりは暗くなり始めていた。レギスタンから紳士が井川に少し行った公園のような場所ではなんだか催し物がなされマイクでの声が流れている。ホテルに一度帰るつもりでいたけれど、その音のする方向に魅力を感じながらも3人腹ごしらえを選らんだ。レギスタンから近くのレストラン、広い歩道で屋台のように料理がされていて、すぐ横にあるレストランの中で食べるようだ。かなりおいしそう。
3人で乾杯!
旅の話に花を咲かせる。

サマルカンド1
サマルカンド 2
サマルカンド 3