1 ヒワ到着
2 ヒワの町を歩く
3 朝焼けの町並みとホテル周辺
4 日曜バザール













ヒワ、イチャン・カラの町歩きは、見所の集中する通称カールマルクス通りを中心にして、
ささっと見るだけならば、わずか30分で事足りてしまうくらいのもの。
でも、足を止めて、空気を味わっていたら、とても心地よく時間が過ぎていた。
イチャン・カラ(旧市街)に入ってからとりあえず、今宵の宿を探しにウエダさん、ヤマモさんと歩いた。
英語版のガイドブック『Lonely Planet』で検索して行こうとしたホテルを見つけられず、でも、もう一つ新しくてキレイと聞いていたまた本にも載っていた、ホテル「B&B MEROS」へ向かった。着いて部屋を見るなり気に入って、ステキなお部屋へチェックイン。少しの休憩の後に出かける。
ウズベキスタンの気温は高い。日中になるとその殺人光線(旅仲間ファリ〜命名)は容赦なく肌に突き刺さり、通常の日本の環境、会社やお店などののクーラーに慣れてしまっていた日本人たちには厳しいため、午後は休憩の予定だった。そのためにわずかな休憩で出かけた。
まずはメインストリート、カール・マルクス通りを歩く。
たくさんのおみやげ物やさんが楽しい。
そして、左右には次々とマドラサやモスク、ミナレットが姿を現し、興味心をますますくすぐる。
カール・マルクス通り
強い日差しの下、
あざやかな織物を売るおみやげ物やさん。
左;ヤマモさん と 右;ウエダさん
正面がジュマ(金曜)・ミナレット
後ろを振り向くとカルタ・ミナールが、青い空に溶け込もうとしていた。
歩いていると、頭に大きな荷物を乗せて立ち止まる女性がいた。
絵になる姿にカメラを向けると、ハズカシそうに急いで頭の上の荷物を下ろす。残念がる私とウエダさんにおばさんはとても気持ちのいい笑顔を見せた。
生き生きと咲く花がキレイだった。
クトゥル・ムロドイノックのマドラサの前で、大きなパラソルの下でおばさんたちがおしゃべりに興じる。
歴史とウズベキスタンを感じる建物とおばさん。そしてミスマッチな「Fanta」のロゴ入りパラソルが
なんとも言えず、思わずシャッターを押す。
おばさんは、笑って私たちに手を振った。
東門の手前にあった床屋さん。
お店の前で少女が強いような出も泣き出しそうな顔で遠くを見つめていた。
近寄ると、私を一瞥して、また遠くを見つめた。
カール・マルク素通りをアタ門(西門)から東門へと向けて、途中の美しい建築物に目を奪われながらもずんずんと進んでいった。
あっという間に、東門。なんだか門の向こうにはたくさんの車が止まり、荷物を手に人々が行きかう。
アンモニア臭の漂うトンネルのような東門をくぐり、城壁を出ると、そこには日曜バザールがあった。
お土産売りの少女。
くっきりとキレイな整った顔立ち。
しばらく、ウズベキスタンの中央アジアまたはシルクロードのバザールに酔いしれた後、私たちはすっかり火照った体を休めるために、ホテルへと向かう。
ここの人々は、目が合うとどこか日本を思わせるような、会釈に近いうなずきの挨拶で答える。最も一般的なのは片手を胸に当て「アッサラーム (アレイコム)」。
私もいつしかまねをして、目が合う人合う人に「アッサラーム」、みんながうなずきそして、ほとんどの人が「アッサラーム」笑顔で答える。
水と緑があふれる東南アジアの濃厚さとはまた一味もふた味も違った独特な濃厚さを持ち合わせた砂漠の気候のシルクロード。
でも、共通して言えるのは懐かしささえ覚えるようなアジアの町であること。
帰り道でホテルへの曲がり道に「infomation」があった。
ちょっと立ち寄る気分ではいると、あれれれ?
中にいたスタッフはJICA(国際協力事業団)の海外青年協力隊で来ている美佐絵さんという、日本人の女性だった。
美佐絵さんは私よりも少し年上の女性で、最初の1年半はタシケントで過ごし、今ヒワへ来て半年。人気をわずか数ヵ月後に控えていた。とても感じが良く、とても気を使う方だった。
静かな室内では欧米人の旅行者がインターネットをしていた。
しばらくお話しをして過ごして、一緒に夕食を食べようと誘った。美佐絵さんは喜んで返事をしてくれた。私のほうが嬉しい。
休憩のために宿に帰り、ウエダさんとヤマモさんの部屋のテラスにお邪魔して、3人で昼寝をした。
すぐ目の前は城壁と真っ青な空。
しばらく寝ると、日は傾き始めじりじりと私の足元に迫り、ついには移動しても襲い掛かってきた。そのために起きて、ちょっと出かけることにした。城壁までの散歩。
少しして戻ると、チェックインする日本人の姿。佐藤さん。またまた夕食に誘う。
佐藤さんは、一人3ヶ月ほどのたびをしていた、とても穏やかな控えめな方だった。
ウエダさんはネットに出かけ残っていたヤマモさんと出かけた。
私はスイカが食べたかったんだ!!!
夜にみんなで食べれたらいいなと思い、朝通った道をまた歩き、迷うことなくバザールのスイカコーナーへと向かった。夕方になりかけていたバザールはすでにたたみ始めていたお店もちらほら。
ふらふらと歩いていると、スイカのつもりがメロンにまで目移りしてしまった。おじさんが味見のメロンを切って出す。やはり・・・うまい!日本のスイカサイズのメロン1ヶ700スム約80円なり。でもね、もしかしてと思っていたら、おじさんは味見に出した切り込み入りのメロンをくれました。
そして、すぐにスイカもあったけど、すでに少し重いメロン、スイカは帰り道が少しでも短くなるところで買おうと決めて購入。まるっと一つのスイカにナイフを入れたおじさんはささささっとカットして、なんと私とヤマモさんにそれぞれ1ヶの約8分の1もの味見をくれる。冷えてないのにこのうまさ、甘さはナンなんだろう〜。
スイカにもメロンにも袋はない。ヤマモさんと一つずつ抱きかかえて帰る。
帰り道にお手伝いをする子供達が私たちを見て、笑いながら嬉しそうに恥ずかしそうに、挨拶をしていた。
「ハロゥ」
荷物(スイカとメロン)をおいて日が暮れ始め涼しくなった街へとサイド足を向ける。
町を見下ろすミナレットは二つ。ジュマ・ミナレットとイスラーム時・ホジャのミナレット。夕食の約束までまだ時間があった。訪れたジュマ・モスクでミナレットの別料金を払い何十段もあるミナレットの階段を上った。




入場券はいくつかの見所への入場券も兼ねている。通りに面した音楽博物館へと入った。
旧マドラサ(神学校)を利用して一つ一つの部屋に蝋人形を置いたりと、昔からこの土地に伝わる音楽を紹介していた。おばさんはきれいな英語を話す。穏やかな感じだったけれど、敷地内のゲル(モンゴルの遊牧民の住宅)の小さい物がなぜかマドラサの中庭にあり、そこにはおみやげものやさん。ここでのおばちゃんは熱かった。まぶしいくらいの青いスザニ(壁掛け)が本当にキレイで、ほしかったけれど、値段的にあきらめた。
また、中にはには現在もなお使われている。井戸がある。
初めて、井戸から自分で水をくみ上げた。べこっとへこんだバケツを井戸の深くへと初めてで怖い私はそーッと落とす。石でこすれてばさつくロープを調節して、水をバケツに入れるとただ何度も手元へと手繰り寄せる。
ようやく私の手元に来たバケツにはたくさんこぼれてしまったためにわずかばかりの水。中には砂の微粒子が浮かびきらきら反射していた。ほてった手をつけると日中の暑さからは想像もつかないほど、冷たくひんやりとしていた。
こんな井戸が、ヒワの町ではいくつもあった。小さな子供が手伝いで、重い水をくみ上げる姿も見かけた。
ジュマ(金曜)・モスクとミナレット
モスクの中には212から218本の細工が施された木の柱が連立しており、他とは全く違う雰囲気をかもし出している。中央から外の明かりが入るものの中は薄暗くひんやりとしていた。
最初に建てられた10世紀のものから、幾度もの改築を経て、今の形が作られたのは18世紀。ホラズムの伝統が息づいたつくり。
ジュマ・モスクの一部であるジュマ・ミナレットに上るのはイチャン・カラ入場券とは別料金で1000?か2000?スム必要。33m、81段もの暗闇を抜けてやっとたどり着く眺めと心地よい風はとても爽快だった。
イスラーム・ホジャのマドラサとミナレット
1910年、時の大宰相イスラーム・ホジャによって作られたマドラサとミナレット。彼はロシア支配下において学校・病院・電話事業などで急進的ヨーロッパスタイルを推進するものの保守派から暗殺されてしまった。
マドラサの中は他と類をたがわず、今は博物館兼おみやげ物やさんとして使用されている。ハンドクラフトを中心に展示されているこちらの博物館の評価は高いようだ。
ミナレットはジュマ・ミナレットよりも高い44.8m、118段。これはヒワで一番高い建築物だ。もちろんこちらについても上るためには別料金が必要。
この周辺子供達が(大人も?)しつこい・・・。ここの女の子達は少し東門へと歩いたタシュ・ハウリ宮殿周辺にも出没。勢いにやられそうでした・・。
町の片隅で。
町には観光業に従事する人、が多い。そんなイチャン・カラの中でたくさんの人がハンディクラフトに従事しているエリアと通った。アタ門からカール・マルクス通りを東へ向かう途中、ジュマ・モスクよりも手前を右へと進む。イチャンカラの南方に位置する部分。
木工工房ではまだ小学生程度の子供達が器用にのこぎりやのみを使い大人から習いながら、美しい細工を作り上げていく。
少し先には、絨毯工房があった。古いマドラサを利用して、入り口をはじめ暑さのこもる一つ一つの部屋で何人もの女性が大判の絨毯を実に見事な手さばきで作り上げる。中庭の空間では男性が大きな瓶に束になった糸をつけては絞り、瓶の中の黒ずんだ色とは似ても似つかない美しい色になっていくのだろう。
様々なアジアの国を訪れてその手先の器用な手工芸品にいつも感心させられるが、ウズベキスタンでもやはりそうだった。小さな工房から美しい製品が一つ一つと作り出される。
インフォメーションの横のおみやげ物やさんのお兄さんと、娘さん。
とてもはにかみ屋の彼女はお父さんと、いつも面倒を見てくれる従姉妹のお姉ちゃんにべったり。
お姉ちゃんもまだ10歳程度。慣れた手つきで赤ちゃんを抱き上げ、あやす姿がかわいらしかった。
みんなで食べる夕食の待ち合わせにちょうどいい時間になっていた。
待ち合わせ場所のインフォメーションに行くとちょうど美佐絵さんの仕事が終わり、一緒にいたヤマモさん、そしてウエダさん、佐藤さんとみんな集まる。
お店は美佐絵さんに選んだもらった。
メインの通りであるカール・マルクス通りをジュマモスクで右折したところにあるお店。名前を覚えていなかったので、翌日行ってみるとお店の入り口には「チャイハナ」=カフェってことか?後で、本で見ても名前は「ChayKhana」・・・・。
中に入ると吹き抜けの中央にはぶどう(?)の蔦が上へとつたって、壁にはシックな黒を貴重とした壁掛けスザニ。いすの席もあるけれど、ウズベクらしい寝台の席に座った。
イチャン・カラの中ということもあって、少しだけ高いらしいが、この雰囲気も出てきた料理も満足。
そして何より、みんなで楽しくお話しして食べたことが楽しかった。
それぞれが普段ならすれ違うことのない場所・環境、立場の人だったから誰の話しを聞いても、興味深かった。とりわけこのウズベキスタンの大地において、生活の中からいろんなことを得てきた美佐絵さんのウズベキスタンにツテいてのお話は、ただ、旅行として感じている、感じようとしている様々なことをもっと深く考えさせてくれるものだった。
「こんな楽しい場で、暗くなるようなお話もしてしまって・・・」
と、美佐絵さんは気にしてみえたけれど、ホントに勉強になるお話を聞けたこの時間はとても貴重なものでした。
美佐絵さん、ありがとうございました。
お店を出て、美佐絵さんを私たちの泊まる宿へと招待した。
昼のうちにヤマモさんと一緒に買っておいたメロンとスイカを食べるためだ。
宿へ帰ってウエダさんとヤマモさんの部屋にあるテラスへ。宿でナイフとボールを借りてみんなでスイカを食べた。冷やしておいたものではなかったけど、夜にはすっかり涼しいヒワの空気では常温で十分。この甘さは常温でも本当においしかった!
食べきれないほどのスイカをみんなでバクバク食べた。
しばらくして、とても景色のきれいな屋上へと5人で上がって、ヒワの町を見渡す。
すごく美しかったけれど、空を見上げて、あまりの迫ってくるほどの星の美しさに、誰もが声を失って、空を見続けた。
天の川さえも鮮明に輝いていた。
みんなでスイカを切って食べて、空の星に感動する。まるで学生時代を思い出すかのようだった。すてきな思い出。
少しして明日も仕事を控えた美佐絵さんが帰られた。
私たちはしばらく話をして、それぞれの部屋へ。
あまりに心地いい台地の空気にみんなテラスにおいてあった布団に身を横たえて眠りについた。
涼しいくらいの風が頬をなで、すぐ目の前には吹き抜けの世界遺産の城壁。
幸せな気持ちだった。

ヒワの夕刻。
みんなでレストランに向かう道で、あまりに景色と合う味のあるおじいさんだった。おじいさんの後ろをお孫さんと思われる少女が追う。
おじいさんの靴は足よりも3センチほど大きく、失礼かもしれないがかわいらしくさえあった。それがまたおじいさんと、おじさんの歩くこの町並みにより一層味を出していた。
