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bukhara

朝の街を散歩するあしながメリ

泊まったグリホテルからの小道

朝の散歩で小脇を見たら、朝顔のような、
でももっと力強い花が咲いていた。

ホテルを出てすぐ、私を見つめる
かわいいわんちゃん☆

ナーディル・ディワンベギのマドラサ
旅の隊商宿ケルバンサライとして作られたがここをマドラサと思ったブハラ・ハーン国の宰相ディワンベキによって1622年創設された。

ホジャ・ナスレッディンの銅像
世界中で教えられているイスラム教神秘主義スーフィー教団の物語に使われる、「賢いばか」のような存在のホジャ・ナスレッディンの像。
リャビ・ハウズのため池のすぐ湧きの緑の中にある。

リャビ・ハウズ
リャビ・ハウズとはタジク語で「池の周り」と言う意味を持ち、1620年に作られたものだ。今はこの場所の池(ハウズ)の周りの広場一体を指して使われている。
池の周りには桑の木が植えられ、その木陰にある茶店(チャイハナ)にはウズベキスタンらしい大きな寝台が置かれ、現地の人も、旅行者ものんびりと過ごしている。
とても居心地のいいこの場所はやはり人気で、ツアー客などの利用も良く見られる。ややツーリストプライスが存在するのが残念。
それでもやはり、この池の周りで池を彩る噴水やアヒルののどかな姿を見ながらいただくお茶やおいしいウズベク料理、そしてその時間は、なんとも思い出に強く残るステキなものだった。

まだまだ日本時間の抜けきらない時間に目が覚めた。もう少し寝ていたかったけど、
昨日のように、いつもの旅のように、朝の散歩へ出かけた。

朝一のホテルからホテルへ帰るまで往路と復路は少しずつ人の動きがかわってて、それぞれに違った楽しさがあった。
そんなことを話しながらの朝食の後、改めて同じ道を3人でたどった。そのときは更に町は賑わいの変化を見せてとても興味深かった。ヤマモさん・ファリ〜と3人でいろんなおみやげ物やさんをひやかし、ブハラらしいスザニをはじめとした民芸品のすばらしさに感心しながら道を歩く。
とある銅(?)の皿への彫刻をしていた少年がいたので横からファリ〜と眺めていると、少年が口を開いた。当然のごとく私もファリ〜も彼が自分の作っている細工皿について話をはじめると思ったんだ。すると彼が口にしたのはこんなこと、
「ハマム、行った?」
「ええ?」
「ハマムだよ。行った?」
「ううん、まだだよ。いいの?」
「うん、いいよ。」
と少年が微笑む。
ブハラは人がいいということを聞いていたけれど、この少年、なんて素朴にそれを表してくれたんだろう。

↑両方が私たちの泊まったホテルから程近い
リャビ・ハウズのすぐ脇にある。

軽く見所・メインであるカラーン・ミナレットの周辺を見終えた私たちは、そろそろホテルをチェックアウトするか田舎の決断をしなくてはならない時間になっていた。それはつまり、今日ブハラを経つか残るか。
わずかな時間でも、ブハラで滞在をしてみて、ブハラの人・町の過ごしやすさや、そして泊まったホテルの良さからすぐにブハラを離れるというのは寂しすぎた。しかし、まだ旅は先がある。少しだけ時間的余裕もあった。だから、ここでの滞在は可能な範囲でのことだったのだけれど・・・。
ホテルへ戻って悩んだ挙句、私たちは、次の目的地へ旅立つことにした。
私は今回の旅で一番の目的としていたちは次のサマルカンドだったからだ。この地で過ごしても、後悔することはないことはわかっていた。でも、私は、旅立ちを決めた。
ヤマモさんと、ファリ〜ついても、もう1泊を考えていたようだった。しかし、色々な便利さや私とのついで感からか一緒にブハラを後にすることに。
ホテルに戻って、ホントにやさしく感じのいいおじさんたちにそれを伝える。
外国人登録のレギストラーツィヤにブハラの旅立ちの日を今日として記入してもらった。
旅立ちまでの半日、おじさんたちに荷物を預け、私たちはまた散策へ。


朝に一目ぼれ(?)したこの雰囲気に私はお昼ごはんをここでとろうと決めていた。リャビハウズだ。

リャビハウズ'は小さな公園もかねている。
水のある景色の中で、ブハラの人々は
ゆっくりとした時間を過ごしている。
このおじいさんと赤ちゃんも。
おじいさんはカメラを構える私に対して、
自分のことは全く気にすることなく
ただかわいらしい孫がどう映るかばかり
「ほら、カメラだよ、見てごらん」
きっとそんなこと言ってたんだろうな。
観光地で見るその土地の日常。
そしてコレは普遍的なもの。
ほほえましく、旅人を安心させる。

リャビ・ハウズの池には数匹のカモのほかに数匹のアヒルたちが涼しそうに水物浮かんだり、日陰で昼寝を楽しんでいた。
定期的に(?)吹き出る噴水の水音が木陰で時間を過ごす私たちに、更なる心地よさを感じさせる。

なんとも寝台が心地よさそうだが、そう実際に心地いいんだ〜。

ガイドブックによると、リャビハウズはちょっとぼられる、旅行者にとっては優しくない価格、というのも実際の投稿で読んでいた。
でもでも、どうしてもこの雰囲気の中でまったりしたかった。
どこの旅先でもそうなのだけど、このリャビ・ハウズはウズベキスタン価格、庶民的ではないけれど、ウズベキスタンらしい雰囲気のなか、私にとって贅沢な時間を持てる場所だったら、それはけちけちする必要はないんじゃないかと思う。
そんな場所で時間を過ごすことが私にとっての楽しみだ。もちろんお金を使って楽しむだけでなく、景色の美しい場所で、腰を下ろして、ボーっとすること、日記を書いたり手紙を書いたり、そんな時間が好き。

ヤマモさんとファリ〜を誘って、水辺に近い寝台を選び、腰を落ち着ける。
席に来たウエイターはなんとトルコ&ウズベクのハーフのお兄さんだった。普通に出てくるトルコ語が楽で嬉しい。
いくつかのメニューの中から、ウズベクの定番メニューのほかにサラダや、二人はビール、私は杏ジュースを頼む。
どれもおいしくて、何より外の景色のきれいな場所というのが、たまらなかった。
ちょっとだけ、場違いだったのは私たち同様の旅人。華やかなフランス人団体客の方々だったけれど、それもまた、観光地らしくいいのかな、なんて感じた。

食べて少しのんびりのつもりが3人でボーっと話をしたりして過ごしているうちにあっという間に2時間半くらいもここにいた。3人ともが口を合わせて言う。
「気持ち、いいね」
値段はかなり食べもしたけれど、他のところで軽く食べようと思ったときの2倍。でも過ごした時間は3倍。満足度も2倍はゆうにあった。
時間を過ごすに十分な意義のある場所だったように思う。ここでの時間はすごくすごく心地よい時間だった。

ゆっくり過ごしたのはいいけれど、そろそろ今日の夜のチケットを買わなくてはいけなくなっていた。
ファリ〜が「どこかで列車に乗りたいんだよね」と言っていた。それは私も同感だった。
ヒワからブハラへの移動では便のよさと実際に使った人からの意見でタクシーのシェアを使ったのだけど、使えるものならば、現地の人が多く使うものを使いたかった。その雰囲気を味わいたかった。
朝の時点で、ツーリスト・インフォメーションで、列車の時間と価格は調べていた。夜の7:25。
ツーリストインフォメーションに確認とチケットの購入の相談へ行く。
インフォメの人がいなかったので、すぐ脇にあるホテルを紹介してくれた男の子の働く絨毯やさんへ、聞きに行った。
相談してみると彼は、代わりに駅まで行って買いに行ってくれるという。彼は私たちに必要なチケット代だけを伝え受け取った。当然私たちも知っていた価格と同じだけ。まったくボろうということはなく。彼が買ってきてくれる時間は約30分強だという。それまでを彼の働く絨毯やさんで待つことにした。一緒に働く20だという男の子がこれまた、まったく売りつけようとせず、ただ私たちの質問に対して商品の説明だけ、また普通の会話を楽しんでいる。
3人ともがすっかりくつろぎモードに入ってしばらく後に、彼がチケットを携えて帰ってきた。どうやら朝聞いたチケット代は乗車代だけで、席のリザーブには別料金がかかるようだった。その彼は立て替えて、その分だけを私たちに伝えた。ここで、疑問が・・。彼が言ってくれた往復のタクシー代はどうなったのだ?まったく請求しようとする気配がない。
「どうやって行ったの?」
「タクシーで」
「タクシー代は?」
「払ったよ」
いや、そうなんだけどさ。人がよすぎるよ〜!!!
そして彼は、乗ってきたタクシーの運転手に私たちの希望時間を聞くと、その時間にここに迎えに来てくれるようにとまで、頼んでくれた。
私たちは感謝の気持ちと言葉、いやみにならない程度の御礼の金額を彼に渡した。
なんだか、またまたブハラで心温まるような出来事だった。
一緒に収めた写真のなかで、照れくさそうに嬉しそうにしていた彼らがかわいかった。

ヤマモさんとファリ〜、しばらく別行動で残り少ないブハラを楽しんだ。

旅立ちの前にホテルに荷物をとりに行く。
たったそれだけのことなのに、ホテルのおじさんたちはまた、やさしく私たちと接し、暖かく見送ってくれた。改めて、むねにジンとくるこの空気と笑顔。
少し早めの時間に3人、ブハラの駅へと向かう。

ブハラの青く澄んだ空が
ここで暮らす人の心みたいだ。

ファリ〜からの頂き物の写真。→
ヤマモさんと3人、たくさん飛ぶ鳥達を
どれだけ収めることができるか、
3人でその瞬間を待った。負けた・・。

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