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アルク
ブハラで最も古い建築物であるアルク(=城塞)は5世紀から赤軍によって7割が破壊される1920年まで使われた。現在はその残った3割を修復し、内部にいくつかの博物館が置かれている。

カラーン・モスク
カラーン・ミナールの足元にある大きなモスクはゆうに1万人もの人を収容することができるほどの大きなものだった。
アラブ人の最初の建設である795年から16世紀まで、「金曜モスク」として存在したが、あまりの大きさにチンギス・ハンがブハラを征服する際に宮殿と間違えて破壊してしまったほどだと言う。
その後、1514年に再建、1970年には改宗されるが、ソビエト時代は倉庫として使われてもいた。進行の場として復活したのはまだわずか前、1991年のこと。
入場は0.8$。

ミーリ・アラブのマドラサ
カラーン・ミナレットをはさむようにカラーンモスクの向かいにあるのが、16世紀建築のこのミーリアラブのマドラサ。アラブのイエメン出身の指導者がいたためにミーリ・アラブ(=アラブ人のミール)と名づけられた。
建てられた当初から1920年まで神学校として使われていたが、ソビエト時代にブハラに存在する宗教施設は閉鎖されたが、スターリンの手によってイスラム教の支援の下1944年に数少ない神学校として再開された。現在もなおその役割を果たしている。

カラーン・ミナール
ブハラのシンボル的存在でもあるカラーン・ミナールは中央アジアにおいて最も高いミナレットだろうと言われていて、幅10mにその高さは47m。周囲は約14種類もの異なった美しい細工に彩られている。カラーンとはタジク語で「すごい」「すばらしい」を意味する言葉であり、その歴史は1127年までさかのぼる。歴史の中で、このカラーン・ミナールはチンギス・ハン、そして、旧ソビエトの赤軍の支配下でも破壊を免れたもの。
19世紀半ばまでは囚人を上の展望台から袋に入れて投げ落とすと言う公開処刑の場に使われていたが他にもイスラム教の礼拝を知らせるアザーンが流されていた。
上に上るためには3$必要。

ミーリ・アラブのマドラサの角を曲がるとき
背筋を伸ばして歩くおばあさんとすれ違った。
柔らかに微笑む笑顔がステキだった。

ミーリ・アラブのマドラサの裏手の通りハキカット通り。
おみやげ物やさんを出す、お母さんと娘さん。
鮮やかな色をしたお母さんの手作りのおそろいの服にそっくりな顔が印象的。
「コレは息子が作ったのよ」と、嬉しそうに手の込んだ美しい柄の数々の品を
誇らしげに見せた。涼しげに微笑む。

このドームが見たかった!!
このドーム私が携帯して行ったガイドブック「旅行人Eシルクロード・中央アジアの国々」編でも表紙に使われていて、こんなキレイなものが!なんて思っていたんだ。
自分の目でこれが見れるなんて。

↑コレはまぶしい朝日を浴びる姿

少し西に傾きかけた日を浴びてるのがコレ→

どちらの写真も空が澄んだ澄んだ青。

この写真も私の中のブハラらしい景色。
精巧なドームの向こうのマドラサと、土色の町。朝日が白く浴びせられる。

カラーン・ミナールに上って

カラーン・ミナールの足元に広がるカラーン・モスク

↑お気に入りの1枚。
カラーン・ミナールからの景色はすばらしかったけれど、内部はたくさんの落書きまるけ。どこの国でも観光地で逃れることのできないものなのね。多くは、はぁぁ??と思いたくもなるようなものばかりなんだけど、でもでも、ここの落書きかなりの味があるものも・・。探して探して見つけ出したのが、古いもので1929年。なんとソビエトになって少しの時代のもの。ちょっと1999に見えなくもないけどさ、間近で見てみて、コレは’29と言うことでパシャリ☆
ヤマモさんとファリ〜と3人、しばしミナレットの上で、古い落書き探しに興じました。

ブハラを訪れる前にガイドブックを読むと「文化都市」としての存在であり、また、とあるウズベク人に聞いたブハラの印象は「人が一番いいよ!」と言うこと。それはいやがおうにも興味と期待が膨らむじゃないの!
そしてそして、私の見たかったこのタイルのドームがある町でもある、
ブハラ。

ブハラに着いたのは夜もすっかりふけていた。11時のこと。
早速、宿泊を希望・予定していたホテルへと向かった。当初の到着予定は8時だったから、その時間ならばコレまでしてきたたびの感覚的にも、十分に泊まれるのではないかと思って、ホテルの予約をしていなかった。
ホテルの入り口を入ってみると、広い中庭を囲むように2階建ての部屋が並び、とても感じがいい!待つ私たち(ヒワから一緒に来たヤマモさんとファリ〜)におばさんが出てきたものの、このホテルの感じの良さはやはり人気だったらしく、また英語のガイドブック『Lonely Planet』の影響で部屋はいっぱいだった。
この時間から暗い町で宿を探すことのめんどくささ・・。ただ観光地であるために、そんなには気も重くなかったけれど。
泊まることのできなかったFatimaホテルを出てすぐ左手の道にホテルの看板があったけれど悩みながら歩くと、暗闇から肌の黒い、ちょっと怖い感じのお兄さんが「ハロー」と私たちに向かって歩いてくるではないの。
そして彼はおじさんのホテルを紹介してくれると言うのだ。でもでも、雰囲気はこの薄暗さの相乗効果で怪しいんだ。おまけについて入っていく小道も暗くてさ。
なんて、思った私。後からヤマモさんとファリ〜と話すとみんながみんな、ここで逃げた方がいいんじゃ・・・と思っていたというので、大笑い。
だって、ほんとうにこのお兄さんは「ブハラ人の人の良さ」をこの日だけでなく、おいおい教えてくれる人でもあったから。
私たちは、お兄さんの案内してくれたホテルに、満足して泊まることになった。

ブハラの見所はほとんどこの旧市街に要約されている。実際にこの旧市街が『ブハラ歴史地区』として世界遺産にも登録されているのだ。旧市街の中の見所は私たちがヒワからバンで到着した東のミニバス乗り場の周辺から始まりアルクという内城がある場所までゆっくり歩いて約30分。
その道の随所随所で、この町の歴史や空気を強く感じることができる。
道の始まり近くに決めた私たちのホテルだけれど、静かながらも華やかさのあるブハラの文化的な町並みを過ぎ、結局私は1日で朝・昼・晩とまるでごはんのように3回も見所の終点あたりに存在するカラーン・モスクまで訪れることとなった。

朝日に映る姿はカラーン・ミナールと
入り口のある東側から見ると美しい。

コレは朝日の中で撮ったものだけど
西向きにあるこのマドラサはやっぱり夕方に撮りたい。

どの建物も、静かに歴史とその時代の人と共存してきたウズベキスタンの建物と言うものだった。
朝は一人で散歩をして来た。周辺には早かったせいもあって、私と同じように散歩する観光客が一組。ふと見ると、かわいらしい、ちょっと毛のぼぅぼぅの(←ここがまたかわいい)わんちゃんが私をじっと見ていた。静かに感じる町の景色がほんわかする。わんちゃんは目が合った私に対してはにかむように少し先にあるカラーン・ミナールへと階段を下っていった(ただ避けただけ???)。私の向かうほうだったので、まるでわんちゃんに案内されるかのように嬉しかった。
予定の道とは違う経路でたどり着いた私は、帰りはここから一番旅行者に使われる経路をたどってホテルへ。

3人で、静かなホテルの中庭で朝食をいただきゆっくりとする。個人旅行をしていて思うのは、こんなゆっくりした時間を持つことができるとき、日本での日常とは違う、優雅とも言える時間をもてる幸せだ。
それぞれが本日中か翌日のサマルカンドへの出発を考えていたために、ある程度のパッキングをしていざ!ブハラを楽しみに出かけた。


改めて、店が開き人が動き始めていたブハラの町は文化都市であり、華やかさのある都市だった。
カラーン・ミナールへと向かう道にはたくさんの種類の品を取り扱うおみやげ物やさんが並ぶ。もちろんその中にはこの地へ来る前のヒワでも見たものが見かけられもしたけれど、それらの中でも、またいろんなものが、ブハラの名産だった。おみやげ物は道の横でも作られていたり、工房があったり、そのものだけでなく面白い。

しかしそのおみやげ物やさん、笑えもする話だが、目的地であるカラーン・モスクへと向かうすぐ手前のミーリ・アラブのマドラサ横では、それはそれは迫力のある、ややしつこい少女達がいて、ちょっと迫力負けしそうになる。
「Please come to my Bisiness」
コレが言い返しても、つよーーく更に誘うのよ。
私とファリ〜が一緒にレーニンバッヂに見入ってる間にヤマモさん、つかまっていた、爆。少ししてバッヂを買ってホクホクの私とファリ〜がヤマモさんのところへいくと、ちょっと困っていた人のいいヤマモさん「プロミス!!ユーカムアゲイン!!」させられていた。お、脅しかコレは・・・くらいの。
避けながら歩いていた私の腕にもいつの間にか少女の腕が絡み、「Please come to my business」。強い目を持った少女だった。断りの返事を笑いながらしていて、ちょっと休憩に座り込んだ場所でも、横に座って誘い続ける。
彼女の仕事であるおみやげ物やさんとは違う彼女の個人的な話を今度は私のほうから聞くと、急に彼女の表情がかわいらしい、年相応のものに変わる。
「名前なんて言うの」
「オシンタナクラ」
「お・・・おしん〜??」
「おしんだよ!おしん!!」
横に座っていたファリ〜とともに思わず勝手な親近感と笑い。オシンタナクラというのは彼女の名前の部分だけで、聞いたけれど更に長い苗字は覚えることができなかった。
「おしん、あのね」
「NO オシン オシンタラクラ!」
「あああ、ごめんね。日本の昔のドラマでたくさんの国でも人気のあったもので女の子の名前がおしんだったのよ。」
そう教えてあげると、ちょっとこっぱずかしそうに嬉しそうに、「おしん」は聞き入っていた。
他の多くの観光地で働いている少年少女がそうであるように、彼女の英語もまた、ここを訪れる観光客からのヒアリングのみで覚えたものであり、その感性のすばらしさに関心させられた。

しばらくをこの周辺で過ごしてから、私たち3人はホテルへと向かった。
今日この地をたつのかとどまるかはっきり決めなくてはいけなかったし、旅立つのであれば、ホテルのチェックアウト、経路の確保をしなくてはいけなかった。
みんなで決めていた「リャビ・ハウズ」へと来た道を戻る。

ランチの後にしばらくそれぞれ思い思いに過ごし、夕方、最後の見納めとして、カラーン・モスクの前で待ち合わせをしていた。目的はこのカラーン・ミナールに上るためだ。
やはり、と言うかお昼に会った「おしん」にまた再会。今度は「ミナレットに上った後で!」と約束されて、させられてしまった。ヤマモさんも同様。昼のプロミスをミナレットに上った後に果たすよう強要される、笑。

追加の金額を払い長く暗い螺旋階段を上へ上へと突き進んだ。
暗く狭い道から高台の風の通るまぶしい場所へ出た時の感動は景色のすばらしさをより美しく見せる。

旧市街ばかりに目が行きがちだけれど、眼下のアルクやカラーン・モスクとは反対の南東の方角にブハラ州の州都としての機能を果たす近代的な建物も並ぶ新市街が映る。高級ホテルもこのエリアに数軒ある。タクシーで通ったときに目にした雰囲気も明らかに旧市街とは違っていたけれど、タシケントで感じたような、共産主義的、ソビエト的雰囲気でもあった。もう少しだけ時間があったら目を向けて見れたけれど・・。

このカラーン・ミナール上って、改めて、ブハラを満足した。朝日のまぶしい景色も美しかったけれど、やや赤み帯びた日差しの中の景色もまた、美しかった。

「じゃあ、行こうか」

気持ちよくこの景色を後にした私たちだったけど、このあと、きちんと「おしん」や少女との約束を果たし、「ビジネス」にお付き合い。
ヤマモさんは気に入った陶器があったらしく買い物をしていたけれど、私の訪れたおしんの露天は、私の購入予定外のスカーフだったので、「ごめんね」とお断り。とても残念がるおしんを朝に会話を楽しみながらレーニンバッヂを買ったお店のおばさんがたしなめてくれた。
私たちは、ホテルへと戻る道を歩いた。

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