
私の中のタンザニアの始まり
私がタンザニアを知った最初は大好きな動物番組。「タンザニア」を知ったというよりも、多くの命の営みがある自然、サファリの世界を知ったというほうが正しい。
一番有名なのはヌーの大移動。タンザニアのセレンゲティからケニアのマサイマラを水と食べ物である草を求めて大群が移動する。この映像に圧巻されたけれど、行こうと思いはしなかった。
興味のきっかけとなったのは『ABロード』か何かに掲載されていたほんの1ページのザンジバルという島の記事だった。これは5年ほど前のもの。
海洋貿易の交易地となったザンジバル島はインドやアラブの商人だけではなく、ヨーロッパ人も訪れ、栄えたという場所。その中心地であったストーン・タウンは世界遺産にも登録されていたという。
これを読んだ頃、私は旅に対してひとつ思うところがあった。カンボジアのアンコール・ワットを訪れ、多くの無実の人が殺されたキリング・フィールドを知り、傷跡を目にした。そして、広島も訪れた。ここでも戦争の悲しい傷跡が残っていた。
旅はとても楽しくて、自分の土地・国にはない多くのものを目にし、感じ、意識しないながらもさまざまなことを学ぶことができるものだと思う。もちろん楽しいことは大切。でも、せっかく訪れる機会がもてるのならば、遺産でも、負の遺産を学ぶことってすごく大切なものなんじゃないかと思えるようになっていた。そう思って訪れたホロコーストの現場であるアウシュヴィッツ。深い悲しみに包まれた場所でさらにその感覚が強くなった。
「世界平和」というと、私一人でどうこうできるものではない大きなもののように思うけれど、人の傷跡や悲しみを知ることがひとつ、世界平和へつながる大切なことのひとつだとも思う。
ザンジバル島は負の歴史を持つ場所だ。貿易で栄えたザンジバル島は西アフリカの奴隷貿易の中心地であり、西アフリカで最後まで奴隷貿易が行われていた場所だということ。
日本人も負の歴史を作ってしまった部分がある。それでも、「奴隷貿易」という言葉は自分の持った文化とはまた違う、私にとって教科書の中のひとつの言葉にすぎなかった。だからこそその現場を見たいと思った。
多くのアラブの商人が行きかい、ときに日本人までもが売られていったというアフリカの島。
たった1ページのエッセイが心の奥に残っていた。いつか見てみたい。その気持ちはまだ大きなものではなかった。
去年、私の家の遠からずの場所で、愛知万博「愛・地球博」が行われた。
ここで、私はありがたくもいくつかの外国パビリオンを「地球の歩き方」片手に訪れいくつもの情報をいただいたわけなのだけれど、そんな予定なしにふと訪れたアフリカ共同館で、鮮やかな色の絵が目に留まった。タンザニアの「ティンガティンガ」という絵だった。
ペンキで描かれた色鮮やかな動物たちの絵は、日本の色使いとはまったく違った、またこんな動物たちの存在が近くにあるという文化の違いも感じる絵。
旅行をするとき、私のひとつの楽しみは、その国の職人技を見たりすることにもある。
トルコの陶器の町キュタフヤやらモロッコの伝統工芸館やら、その土地ならではの工芸がとても好きだ。だから職人がいっぱいいるイスラム、アラブのスーク(市場)は作る現場を生で見るだけではなく、たくさんの人であふれる市場でもあって大好き!
ティンガティンガを見たときに、なんとなく、「あ、これを書いている場所、生で見たいなぁ」と思った。
しばらく時間が経って、ふと、ティンガティンガのあるタンザニアといえば、あのザンジバルだぁと思った。ザンジバルにはアラブの香り漂うスークがある。
行きたいと思った。
調べてみると、あのサファリのセレンゲティ国立公園があり、少し前に目にしていた、憧れのンゴロンゴロ自然保護区まである。そしてキリマンジャロまである。
ザンジバルを見て、ティンガティンガの工房へ行って、サファリもして、キリマンジャロでキリマンジャロコーヒーを飲む(←多くの友人にベタと言われました、笑)。
行く理由は十分すぎるほどです。
行くしかありません。
旅の1年前に漠然と気持ちができていた。

万博で見たティンガティンガの絵