























サファリの拠点である高原都市は
東西南北に走る大きな道の影響で
たくさんの民族が共存している町。
北の道の先のケニアからはたくさんの
人と物が流れ込み、町の賑わいに色を添える。
この豊かな都市から豊かな自然へ旅立つ。
南の大通りで。サファリからの帰り道、この道で町に入る。
混みあったぎゅうぎゅう詰めのバスに乗ること1時間半ほど、モシからアルーシャへと到着した。
賑わいがありながらも静けさのあるモシに比べて、アルーシャは景色も上へと伸びを見せそれは人と物があふれて上へと押し出されているかのようだった。それでも、まだまだ私の日常生活に比べたら低い景色。のどかさが流れている。
モシと同様にごちゃごちゃした感のあるバスターミナルを細い道で抜け、とりあえずバスターミナルを後にする。バスターミナルの周辺はマーケットが近いせいか人もたくさんいた。私が目指しているのは坂を下った先の大通りにあるホテルだ。明日のサファリを探すにあたってホテル内の旅行会社にまず聞いて見るつもりだった。
バスターミナルからすぐの道はきれいに舗装がされていた、そのまま下っていく道もそうだった。でも、ふと横を見るとその道は土がむき出しのごちゃごちゃした通り。まっすぐ行ってもよかったけれどどうせ右に曲がらなくてはいけないのでなんだかそちらの道に引かれて曲がった。
肌の色の違う私に注目が集まるのがわかった。少しだけ緊張したけれど、目が会った人と「ジャンボ!」挨拶を交わし少し安心する。ニコニコした人に地図を見せてホテルを聞くと快く教えてくれた。
さらに角を曲がり人だかりにつられてひやかしたりしながらのんびりホテルへ向かう。バスターミナルの周りがけっこう人が多いと思ったけれど、このあたりもたくさんの人がいる。アルーシャの中心部だ。
6〜7階建てのビルの並ぶ通りでそのひとつが私の泊まる希望のホテルだった。
ゲートをくぐって現れた中庭を囲むようにホテルの部屋が並んでいた。2階と3階の踊り場にはレストランがある。階段を上って2階のレセプションで受付。小ぢんまりした部屋はすぐに見つかった。
一息つく間もなくすぐに下の階にある旅行会社へ。日程的にはどうしても明日からの2泊3日のサファリに参加したかった。
後から気づいたけれど私はこのとき運良く(?)すぐに旅行会社の人と話すことができた。けっこうここは人が事務所を空けたりしているようだ。
で、押しに弱く、ちょっと探すのがめんどくさくもなっていた私は金額的にも最初はう〜ん・・と思ったものの折り合いをつけこの日すぐに出発でツアーに行くことになった。
お兄さんが呼んですぐに社長が現れ、カードが使えないので私をちょいとドライブがてら銀行まで連れて行った。
最初の話ではすぐに出発しなきゃいけないながらも少し町を見せてくれるはずだった。でもかなり守銭奴の感じのこの親父。銀行へ行ってからは「時間がないんだ!出発しないと。」と言い出してろくに連れて行ってくれなかった。
私の参加するツアーはすでに出発している3泊4日のプラン。私は1日目をはしょって夕方のキャンプサイトから参加することになった。キャンプサイトまで連れて行ってくれるガイドさんが君の行きたがっているバザールに連れて行くよなどと言った社長!ガイドさん
「時間がないよ!」って言うじゃないの!
ツアーには満足したけど、このシャチョーいけ好かない。
ちなみにこの支払いは社長の希望でケニアシリングで行い、おつりをタンザニアシリングで返してもらった。ガイドブックで見たレートと比べてもよかったからまぁいいか。行った銀行もKNBことキリンのマークのケニアナショナルバンク。ケニアからの多くの物資が流れ込んでいるこの土地ではケニアマネ-はさすがの威力を持っているようだ。
チェックインしたばかりのホテルの部屋をでて、払ったお金をサファリから帰った日の宿泊代にまわしてもらって出発だ。ちなみにこの手続きもやってくれるといっていたのに、支払いの後は「行っておいで」 はい?
でも、ガイドとして呼ばれたお兄さんはとってもいい人だった。
いい人かなぁと思ったけれど、仕事とはいえ一緒にいるうちに、ああやっぱりいい人だなぁと思える人だった。彼はこの会社のガイドさん。今日の仕事は私を今晩の宿泊地マニヤラ湖のキャンプサイトまで送り届けることだ。
ホテルを出て、バスターミナル近くの店でこれからのツアーで私が飲む分の水を買い、さっきほんの2時間ほど前に到着したバスターミナルへ。
普通の人たちが乗るバスにぎゅうぎゅうづめに乗り込んで出発だ。バスがターミナルを出るまで物売りたちが窓の外から売り込んでくる。乗客の目線の高さまで持ち上げて並べた商品を見せれるように加工したものには感心。
ツアー最終日は夕方に戻ってくる。その翌日にはザンジバル島へと飛ぶ。アルーシャはゆっくり回れそうにない。でも、いいか。
4日後にのんびりしながらもややハード?なサファリを終えて、現代社会アルーシャへ帰ってくるとなんだか少し安心した。残念な反面ごちゃごちゃした景色に少しわくわく。帰り道はホテルのある大通りだった。この通りは実にたくさんの人がいて改めてアルーシャの豊かさを感じた。
日は少し傾きかけていた。
ホテルに入ると私の前回キャンセルしたことはどこかに忘れ去られていて、しっかり説明をしたうえで納得してもらい、別の部屋に通してもらった。
前の部屋はシャワーがついていなかった。どうしてもシャワーつきがよくてプラスのお金を払っていい部屋にしてもらったのだ。
確かに私の部屋専用のシャワーはついていた。でも部屋の横のドアって・・・。お気に入りの部屋だからよかったけどね。何しろ最上階のプレハブみたいな部屋は私だけの部屋!って感じが満喫できたから。
整った感じのバスターミナル。
バスターミナルを出てすぐ。
大通りの脇には
土の通りが広がる。
現地TOYOTA!
オフィス発見
はじめて見たマサイ族に
思わず興奮。
ヨーロッパの影響もあるのだろうか
町の中心に作られた時計台。
ホテルの前の大通り。車の多さでほこりが舞い上がる
混雑したバスターミナル。
サファリカーの中から到着したアルーシャの町をパシャリ。
たくさんのものであふれたスーパーマーケット。
私の部屋のあるホテルの屋上から下の大通りをパシャリ
夜はサファリツアーで一緒だった親子のアレクサンドラとパパとご飯をご一緒する約束だったので、それまでの少し空いた時間に洗濯を済ませてから町歩きをすることに。
薄暗くなった町では帰路を急ぐ人、のんびり散歩をする人が大通りを歩いていた。時間は夕方の6時くらいだっただろうか、日はすでに半分くらい落ちていて、町には少しずつ街灯がともり始めていた。残念なことに町は帰る人の姿こそあれ昼のような賑わいはなく、店もすべて閉まっていた。
歩く人は多くが男の人だったけれど、歩く女性の中は何人もの髪を覆った人を見かけた。
サファリツアーのガイドとコックさんの名前はヨーロッパ的な名前だった。つまりキリスト教から来た名前だ。
イギリスやドイツの支配の歴史のあるタンザニアの内陸はキリスト教徒が多数いると思っていたが、道の脇に容易にモスクを見つけたし、このようにイスラム教徒の姿を見つけることができるようだ。
とりわけ多くの人と物が集まるアルーシャではイスラムの商人だけではなくインド商人も多く流入したようで、インド的な容姿の人も多く見かける。キリスト教徒でもイスラム教徒でもないヒンズー教徒も多く暮らす町なのだ。
実際に私が立ち寄ったインターネットカフェの店員もインド人だった。そして夜ご飯の待ち合わせ場所もホテルの下のインド料理やさんで。
このインド料理やさんはデザート屋さんもやっていて、町歩きの最初に思わずふらりと立ち寄ってピスタチオアイスをいただいたお店だ。2度目の来店の時はレストランのコーナーにろうそくの灯がともされていてなかなかいい雰囲気の店だった。
アレクサンドラとパパと3人で楽しかったサファリの思い出話をしながら時間を過ごした。
↑灯がともり始めた町は静か
急ぎ足の人が通る道の脇でとうもろこし売りの女の人↑
↑町に流れるアザーン(イスラムの礼拝呼びかけ)に癒された。
乗り合いバスの停留所らしい↑
緑豊かな町。
時折見かけるコカ・コーラの屋台。
私の泊まったホテル。
ホテルへの帰り道